1900年、世界中の国が参加する万国博覧会が開催されていたパリ。この街で、万博の審査委員として滞在していた新渡戸稲造と、第二次の女子官費派遣留学生としてイギリスで学び、帰国の途にあった安井てつは出会いました。
日本の女子教育の必要性を早くから示唆し、『Bushido:The Soul of Japan(武士道)』を前年に書き終えたばかりの新渡戸と、差別のない大学教育を日本の女子に与えたいという思いを強めていた安井。初対面にもかかわらず「スピリッチュアル・フレンドに相成り」「二十年以来の胞友の如く」と安井が友人への手紙に記すほどの運命的な出会いでした。
その18年後、北米のプロテスタント諸教派の援助のもと、1918年に東京女子大学は開学しました。初代学長新渡戸、学監安井(のちに第2代学長)、そして常務理事として、1915年から設立のための委員を務めていたA.K.ライシャワーが就任。当時の日本の教育制度では閉ざされていた、女性への大学の門戸を開放し、キリスト教主義に立脚した最高のリベラル・アーツ教育を行うことを目指しました。
創立以来の理念は、単に知識を求めるだけではなく、人間としての英知を養う教育。「豊かな教養に基づく幅広い視野と高い専門性を身につけ、自立した女性を育てたい」その情熱は変わることなく、女性の生涯を支援していくための大学へと発展し、卒業生たちは、日本中で、そして世界で活躍しています。