今回のボランティアに参加しようと思ったのは、高校生のときに宮城県の沿岸部に震災ボランティアに行った経験が心に残りその後の経過が気になっていたからです。震災から1年目の時、流されたところは土台で何もなく、人もいなくて静かでした。寝袋や食事を持参して行きました。道路がひび割れてしまい車が走れず、自転車で5キロペダルをこいで片付けに行きました。大学に入ってから行きたいと思いながらもサークルの合宿と被り、なかなか参加できませんでした。今回ようやく参加できて良かったと感じています。
実際に大槌町に行ってまず感じたことは思ったよりも復興が進んでいないという点でした。語り部の方のツアーに参加した時の話です。淡々と語っていましたが、知り合い8人が未だ行方不明なこと、夢を持って購入した住宅が流されたこと、2重ローンを背負っていること、仮設が狭く、孫たちにもやむを得ず「来るな」と言わざるを得ないこと…想像を絶する思いを経験してきたのだと感じました。それでも大槌町が好きで離れたくないと思っていることがひしひしと伝わってきました。
震災から5年が経ち、地元の人と接して分かったことは復興に対する課題でした。心の傷だけではなく、経済的な苦しみ、国の進める【災害に強い町としての復興】と地域住民の望む【震災前の町に戻す復興】にズレが生じていることを知りました。テレビで見る仮設住宅は大きく見えましたが、実際は想像していたよりも小さい印象を受けました。長期間暮らすのは大変なことも多いだろうと感じました。今回は仮設住宅や高齢者ホームも訪れました。私はギターを持っていき、「ふるさと」を演奏しました。初めは「みんな知っているから…」と思い、練習していきました。しかし、震災前の平穏な暮らしの写真を見たあと少し考えが変わりました。地元の方が「ふるさと」を聞いたときにどんな風景を心に思い浮かべるのかな…と想像したらとても切ない気持ちになりました。
一方、5年経ち希望や前進を感じさせる場面にも出会いました。例えば、建設中の家、クレーン車、学園の建設、開通した道路、漁港の前の新しい会社、津波を被ったホテルの海の幸が満載の食事、仮設のラーメン屋さんの活気のある店員の声。新しい店や新しい場所で少しずつだけれど確実に希望を見つけ生活する人々の姿を目にすることができました。私自身が感じたこととしては、今回は単なるボランティアではなくて「観光」の意味合いが含まれていたように感じました。それは、被災地が人を歓迎することができるくらい回復した証拠であると感じました。
今私にできることは何だろう、と考えています。忘れないこと。大槌町で撮影した写真や語り部の方から聞いた話を伝え、語り部の拡声器の役になること。メッセージを送る事。継続的にできることとしては岩手や被災地の観光や旅行、彼らが作ったものや食べ物を日常に取り入れることだと思います。そうすることで経済的な面を支え、応援する気持ちを伝え、町を元気にする一助になれたらいいと思っています。