


国際社会学科
#問いに対する対談コラム
国際協力は、開発途上国の貧困や飢餓、ジェンダー問題などを解決し、国際社会全体の安定と発展を目的とした活動で、国家間から市民レベルまでさまざまな層で「活動」が行われています。規模や組織、方法が違っても、それぞれが専門分野の力を発揮し、より良い世界の実現を目指している点は同じです。ここでは、国際協力をしっかりと成果につなげるために必要なことは何かを、JICAで長年活動されていた牧野先生と一緒に考えてみましょう。

牧野 耕司
国際社会学科 教授

秋さん
学生

長谷川さん
学生

倉数さん
学生
国際社会学科で国際協力について学ぶ皆さんの中には、自主的に現地での活動に参加している人がいます。そうした経験や学科での学びを通して、それぞれが思う国際協力の理想像を教えてください。
私は学生ボランティアサークルに所属し、フィリピンの農村部での小学校建設に関わっています。活動を通して思うのは、資金を貯めて小学校を建設するのは一つの通過点に過ぎないということ。大事なのは、教室を修繕しながら数十年と学校が運営され、次の世代につなげていくことだと思います。

私も国際協力には持続性が大切だと考えます。そのためには支援される側が自立し、自分たちの力でやっていける状況まで持っていくことが大切だと思います。
支援が終わっても、その国の人たちによってしっかりと成果が続いていくかどうかが重要だというのはその通りです。フィリピンの例にしても、学校を作るだけでなく、教育の質を確保し、長く継続できるところまでやらないと本当に成功とはいえませんね。 国際協力の仕事をしている人たちはよく「魚をあげるのではなく、魚の獲り方を教えなければいけない」と言います。魚をあげれば魚を食べられ、短期的にはハッピーですが、そこで終わってしまうような国際協力も少なくありません。しかし、魚の獲り方を教えれば、村人はずっと魚を獲って生活していけるようになります。

その際、日本国内で成功した解決策をそのまま相手国に持ち込んだとしても、その国の人たちは「何か違うな」と感じるかもしれません。それでは技術や解決法を教えてもあまり意味がなく、常に相手の国の文化やニーズに合っているかという問いかけが必要だと思います。
確かに日本の成功事例をコピーすればいいかといえば「NO」です。さきほどの例でいえば、魚の獲り方を伝えるといっても、日本と現地ではやり方が違うことがあります。それを理解せず、日本のやり方を押しつけると、真の共感が得られず、結局、支援側がいなくなった後、うまく機能しなくなります。だからこそ、その国に合った形に変えていくというアプローチが重要です。
私はサークル活動の一環としてラオスに2週間滞在し、一番大事なのは現地の人と一緒に生活し、たくさん話すことだと感じました。そうしないと、どんな国なのかも、どんな人たちなのかもわかりません。先生がおっしゃるように、現地の文化や生活を知らないまま日本のやり方を押しつけてしまうのが一番やってはいけないことだと思います。

僕はかつてアフリカで米作りを教えるプロジェクトに関わりました。現在、アフリカではかなり米が食べられていて、貴重な外貨を使って米を輸入しています。その状況を改善し農家の生活向上を目指そうと始まったプロジェクトでした。
いざ始めてみると、田圃で長時間働いているのは女性たちで、昼間、男性の姿があまり見られないことに気づきました。それはなぜか? ジェンダー調査を行ってみると、男性は朝のうちに肉体労働をすると、その後、女性が草とりや種まきをするという、男女の伝統的な役割分担があることがわかりました。しかし、女性は農作業に加えて、子育てや料理などの仕事もあります。これでは女性の負荷が大きすぎると思いましたが、ここで外国人である日本人が「男も草取りをしろ」とは言えないし、言ってはいけない。そこで、私たちはグラウンド整備に使うレーキ(トンボ)のような草取り道具を作ってみたところ、男性たちがおもしろがって進んで草取りをするようになりました。
この例からもわかるように、押しつけるのではなく、伝統や文化に配慮しつつ工夫をしなければいけません。そうしないと国際協力はうまく機能しないし、中長期的には持続性がなくなってしまいます。

フィリピンではフィリピンタイムというのがあって、作業開始時間を決めても現地の大工さんが時間通りにやってきませんでした。時間の使い方や時間感覚が私たちとは違います。
時間感覚の違いは明治時代の日本でもありました。農業は自然が相手なので、何時から何時までと明確に決められないところがあります。富岡製糸場など近代的工場ができたとき、女工さんは農家出身の人が多く、始業時間になっても機械の前に集合せず、お雇い外国人が文句を言っていたという記録が残っています。同じように国際協力の対象国によっては30分遅れは当たり前です。そういう感覚の違いがあることも知っておく必要があります。
先生が授業で話してくださった事例の一つに、タンザニアでの海外協力隊の看護師の話がありました。使用済みの注射針はそのまま放置すると危険なので、専用の箱に捨てなければいけません。ところが、現地の人たちにはケガや二次感染の危険性が十分理解できず、正しい処理方法がなかなか浸透しなかったそうです。また、箱を組み立てることも苦手だったということでした。この根底にあるのは教育の問題ではないでしょうか。なぜ箱を作り、そこに注射針を捨てるのかなど、現地の人たちがその理由を理解し、自分でやれるように教育制度を整えるなど、人材育成への支援も必要です。
学生サークルで学校建設を行おうとすると、一校建てるために半年間で100万円を集めるのも大変で、やはり資金面が一番大きな問題になってきます。
実は専門家が国際協力を行う場合でも、相手側の資金持続性への配慮が行き届かないことがあります。なぜかといえば、教育の専門家は教育を、農業の専門家は農業をというように、自分の専門分野には自信を持っているけれど、それ以外の部分をあまり見ていないことがある。自分の軸として一つ専門分野を持つことは大切ですが、それだけではうまくいきません。支援するチームがいなくなれば、資金面も現地のNGOや政府に任されます。だからこそ、技術を伝えると同時に、どのように資金を確保するかをも現地の人たちと一緒に考えることも必要です。 国際協力の出発点は開発途上国の人たちの役に立つこと。そこでまずは相手の文化や価値観を尊重しながら試行錯誤を繰り返して成功体験を作る。学生の段階では基本、それで充分だと思います。しかしできれば、それで満足しきるのではなく、次の展開に進めればさらに望ましいのではないでしょうか。その国の政府やNGOなどと一緒にスケーリングアップして点を線に、線を面にし、政策化まで視野に入れて拡大していけると良いと思います。そのためには専門分野だけでなく、幅広く総合的な学びが重要です。
本当にそう思います。実際、私は現代教養学部で国際協力とともに多文化理解を学ぶことで、多角的に考える力や他者を尊重する言動が身につきました。

私も文化人類学の講義やフィールドワークの演習を通して、異なる文化や社会を一方的な価値観でとらえず、当事者の視点から理解する重要性を学ぶことができました。
そうですね。国際協力においては大事なのは、実際に自分の目で現場を見て、知り、行動を起こすことです。その意味で国際社会学科では2026年度から「海外研修」というフィールドワークの授業が始まるのは大きな意味があり、国際協力を学ぶうえで得るものが多いと考えています。
