


人文学科
#問いに対する対談コラム
歴史は繰り返さないが、韻を踏む。え、どういうこと? ——歴史の好きを、より好きに。歴史の学びを、人生の重要スキルに変えるために「歴史を学んで、将来なんの役に立つの?」 そう問われて、うまく答えられなかった経験はありませんか。「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉から、大学で歴史を学ぶことの本当の面白さについて、歴史文化専攻教員と学生とで探究してみました。

柳原 伸洋
人文学科 歴史文化専攻 教授

岩橋さん
(2年生)
学生

平田さん
(4年生)
学生
「歴史は繰り返さない。でも、韻を踏む」という言葉、何だか遠回しだと感じました。「歴史は繰り返す」なら分かるのですが……。でも、少し考えてみたら、身近なことに似ているかもしれないと思ったんです。
なるほど、たとえばどんなことでしょう?
ファッションです。最近、Y2Kファッションやルーズソックスが再流行していますよね。でも、当時と全く同じというわけではなくて、現代風に少しアップデートされている。過去の流行が、形を変えて再注目されるのは、同じではないけれど似ている、という意味で「韻を踏む」に近いのかなって。

ファッションの流行という身近なたとえ、良い着想ですね。過去のものが、少し形を変えて現代に現れる。その「似ている部分」と「違う部分」の両方に目を向けるのが、歴史学の面白いところなんです。つまり、「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」ということ。では、逆に「繰り返さない」ではなく、「歴史は繰り返す」という言葉について考えてみましょうか。
高校の先生が、「人間は何度も同じような戦争を繰り返している。だから歴史から教訓を学ばなければならない」と話していたのが印象に残っています。「歴史は繰り返す」という言葉は、私にとってすごく馴染みがあります。
私もそうでした。一般に「歴史から教訓を得る」ことが目的だと思われていますよね。でも、大学で4年間学んでみて、「歴史は繰り返す」という言葉は、歴史学の本質ではないと感じるようになりました。
歴史文化専攻の4年間の学びが、にじみ出ている感想ですね。まず、歴史学の大前提は、「過去に起きたことは、二度と起きない」ということです。「過去は過去」として捉えたうえで思考していくのです。これは、「現在と適度な距離」を取るスキルにつながります。
「歴史は繰り返さない。でも、韻を踏む」という言葉、調べてみると『トムソーヤ』などで知られる作家マーク・トウェインの名言だとされていますね。
多くの人がそう信じていますが、実はこれも歴史学的な探究の対象になる面白いテーマなんです。この言葉がマーク・トウェインのものだという確かな証拠はなく、どうやら1970年代に、彼の名前を借りる形で広まった言葉のようです。
え、そうなんですか。
では、「なぜ、1970年代にこの言葉が語られるようになったのか」を問いとしてみましょう。この時代背景を考えること自体が、まさに歴史学的な思考のトレーニングになります。
1970年代、ヴェトナム戦争、オイル・ショック、そして戦争体験世代から次の世代への交代など、いろいろと時代背景は考えられますよね。

さすが未来の先生ですね。それらを背景に、「戦争」や「危機」が繰り返されるのではないかという感情が、この言葉を広めたのかもしれません。このように、私たちが当たり前に使っている言葉の「由来」を疑い、その背景を調べるのも、大学での歴史学の醍醐味の一つです。では、一度「繰り返す」と「韻を踏む」の違いを整理してみましょう。

「歴史は繰り返す」だけで止まってしまうと、「なぜ似たように見えて、どこが決定的に違うのか」という一番面白い部分を考える機会を失ってしまうんですよね。
その通りです。では、大学で歴史を学ぶことで、具体的にどのような視点が得られるのでしょうか。次に考えてみましょう。
ものの見方が大きく変わった経験があります。歴史文化専攻の講義「世界遺産学」で、日本の近代化を支えた産業遺産について学んだ時のことです。高校までは、日本の産業が発展したという、いわば「歴史の良い面」しか知らなかったんです。でも大学の講義では、その裏側で、鉱山など劣悪な環境で働かされた人々の苦しみや、彼らが患った病気といった「負の側面」も同時に学びました。その時、「自分は今まで歴史の一面しか見ていなかったんだ」と本当に衝撃を受けました。輝かしい発展の裏には、必ず光の当たらない側面がある。多角的な視点で物事を見ることの重要性に、この時初めて気づかされたんです。
岩橋さんのその気づき、聞いていて感動しました。本当に。その「今まで信じていたことは、本当にそうだろうか?」という疑いや、「こんな側面もあったのか!」という驚きこそが、思考のはじまりです。AIが「平均値」の回答を提示してくれる時代だからこそ、こうした人間独自の「想像、戸惑い、驚き」が、ますます重要になってくるのだと思います。歴史学は過去を扱うので、時間的・空間的に多角的になれる。そして、その「多角的な視点」は、現代社会の複雑な問題を読み解くための最強のスキルにもなるんですよ。

現代は「現在主義(プレゼンティズム)」の時代だと言われます。スマートフォンの通知に常に気を取られているように、目先の情報やタスクに追われ、物事を長期的な視点で考える余裕が失われがちなのです。これは、現代を生きる私たちにとって、深刻な精神的危機ともいえます。
それは卒論を書いていて痛感しました。私の研究テーマは19世紀のヴィクトリア女王時代のイギリス王室でしたが、数ヶ月間、集中的に150年以上前の世界について考える時間は、「現在」から適度に距離を置き、物事を大きな時間の流れの中で捉える訓練になったと感じています。
まさにそれです。歴史学は一見、遠回りに見えますが、実は「現在主義」への強力な処方箋であり、現代を生き抜くための思考ツールを与えてくれます。たとえば、現代のナショナリズムや排外主義といった複雑な問題も、感情的に反応するだけでは本質を見誤ります。
私の研究した19世紀に、ヨーロッパではナショナリズムが高まりました。たとえばクリミア戦争など、現代の国際紛争と「韻を踏んでいる」ように見える出来事があります。
非常に良い例です。まさに19世紀半ばに、イギリスの女性作家ジョージ・エリオットが「歴史は装いを替えて、私たちに迫ってくる」と書いています。まさに「歴史は韻を踏む」と同じ言葉です。クリミア戦争と同時期で、エリオットは「危機」を捉えていたのかもしれません。さらに踏み込んでみると、クリミアの問題は19世紀に一度終わって「繰り返している」のではなく、150年以上続く一つの「継続的な現象」として捉えることもできる。こう考えると、ロシア・ウクライナ戦争も、単純な見方から抜け出し、より長期的で複雑な構造として理解する視点が得られます。

なるほど……。見方が全く変わりますね。
そうなんです。この歴史学スキルのひとつを、あるたとえで説明してみましょう。私たちは毎日を生きることに執着して、「回し車」を必死に走っているハムスターのような状態に陥りがちです。歴史学は、その「回し車」の外から自分たちの置かれている状況を客観視する視点を与えてくれます。「なぜ、このルールはあるのだろう?」と、当たり前を問う力を養うことができるのです。そして、これは知的な能力だけではなく、人生を生きるうえでの精神的・感情的な落ち着きを与えてくれることもあるのです。最後に、大学で歴史を学ぶかどうか迷っているかもしれない高校生の皆さんに、先輩たちからのメッセージを送りましょうか。
もし高校時代の自分に声をかけるなら……。大学の歴史学で得られる「多様な視点を持つこと」や「資料を批判的に読み解く力」は、社会に出てからどんな職業に就いても役立つスキルだと伝えます。そして、「現代」を考える上で、過去の事例を知り、多角的に考える訓練を積むこと自体が、自分たちの生活を豊かにする思考法に繋がる。だから、安心してその道に進んでいいんだ、と……。まあ、そんなふうに、学べるんじゃないかな、って声をかけると思います。
すばらしい。最後の「……じゃないかな」という、断定しない表現で終わっている点がとくに良いですね。それこそが、4年間、歴史学を真摯に学んできた平田さんの知的誠実さの表れですよ。
私は、「歴史好き」を貫いて本当に良かったと思っています。高校時代、「歴史を学んでどうするの?」と周りから言われました。でも、大学で学んでみて分かったんです。歴史の知識が、そのまま将来の仕事に役立つわけではないかもしれません。でも、物事を鵜呑みにせず批判的に見たり、あらゆる物事の背景にある「歴史」に気づけたりするようになりました。それは、以前の自分にはなかった新しい視点です。
まず「好き」こそが、すべての原点です。歴史は小・中・高と学んできましたので、大学と接続させやすいです。そして大学では、その「好き」を増幅させつつ、人生の重要スキルを身に付けることができます。東京女子大学の、自由で、ゆったりとした学生生活のなかで、その純粋な好奇心を深く掘り下げていくと、単なる知識ではなく、ある種の「特殊スキル(異能)」が備わります。やや「中二病」的ですが……。時間と空間を自在に行き来し、現代を相対化する知力です。
今日、お二人と、「問い」をめぐる対話を「問い」を重ねることで進めてきました。この「問い」を通じて、歴史学を学ぼうかなと思っているみなさんの背中を少しでも押すことができれば、これほど嬉しいことはありません。
※「歴史は繰り返す」と同様の言葉は、他にも19世紀であれば哲学者ヘーゲルが「世界史的な事件・人物は二度あらわれる」と言ったり、思想家マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でヘーゲルを引用しながら、歴史の「再演」について書いたりしている。
