


人文学科
#問いに対する対談コラム
異文化を理解するときに、言葉の壁があるために伝わらないもどかしさを感じたことがある人は少なくないと思います。だからこそ世界共通語である英語の習得が重要だと言われてきましたが、AIによる翻訳技術が飛躍的に進展したことで、もはや英語を身につけなくても困らないという人すらいます。しかし、本当にそうでしょうか。英語圏文学を専門とする溝口昭子先生に学生とともに英語を学ぶ意味について考えていただきました。

溝口 昭子
人文学科 英語圏文化専攻 教授

秋山さん
学生

熊谷さん
学生
英語圏文化専攻では専門分野を学ぶ前提として高い英語力を身につける必要があります。もちろん、辞書を引いて意味を調べて学習することが大前提ですが、英語学習に翻訳アプリが役立つ場合もあります。お二人はアプリのどんなところが便利だと思いますか。
大学入学後、文学について学ぶ機会が増えました。翻訳アプリは自分が知りたい箇所を入力するとすぐに答えが出てきて、自分で実際に細かく辞書で調べる前に、文学作品について大まかに知りたいときにはすごく便利です。
逆によくないと思う点はありますか。
昔「よりどりみどり」と翻訳機に入れると「yori dori green」としか訳してくれなかったことがありました。もちろん最近はすごく進化しているのでそんなことは全然なくなっていますが、それでも文章が長くなると直訳の傾向が強くなるように感じます。とくに時代背景を考慮して訳してくれないので、使う際には注意が必要だと思います。

確かに翻訳アプリは拙い直訳をする傾向もありますね。ただ、逆に「必要以上に日本語に寄せて」妙に滑らかに訳されてしまうこともあります。その場合、英語の本来の意味を反映した訳なのかを学生が判断できていないこともあり、少し恐怖を覚えることがあります。
翻訳アプリはすごくナチュラルに訳してしまうので、私たちはまるでそれが完璧であるかのように思ってしまいます。それだけに何でも翻訳アプリに任せてしまえばいいと考えるのは危険で、とくに英語を学ぶうえで翻訳アプリに頼り切ってしまうと、英語力そのものが落ちますし、自分で考え想像する力が失われてしまうと思います。
熊谷さんは卒論で人間の言語とAIが翻訳したものを比較されていて、AIの翻訳が言語の背景にある文化までは汲み取ってくれないことにも言及されていましたね。
卒論の一環でAIの話す言語がいかに人間らしいかを調べたのですが、逆に皮肉や共感など、言語に含まれるニュアンスや感情までは訳してくれないことに気づき、少し物足りなさを感じました。
皮肉は、英語を理解するのに重要な要素です。とくにイギリス人は皮肉なしには会話ができないのではと思うくらい皮肉を交えて話すことが多いですね。それに慣れていない日本人は皮肉に気づかずそのまま受け取ってしまうことがあります。AIも皮肉はわからないだろうなというのはありますね。

日本のように以心伝心や阿吽の呼吸で伝わるハイコンテクストの文化もあれば、すべてを言語化しないと伝わらないローコンテクストの文化もあります。イギリス人の皮肉にはどういう特徴がありますか。
ごく普通に皮肉を会話に混ぜてくることですね。以前、補講日が12月24日に決まったことがありました。でもクリスマスイブに授業を行うのはキリスト教の国出身者にとってはあり得ないことです。そこで、イギリス人の教員が24日に補講を行うことになる同僚について「彼女は喜ぶだろうね」と言ったのです。それを学生たちにverbal ironyの例として提示したら、一瞬全く理解できず「なぜ喜ぶのですか?」と混乱してしまいました。 イギリス人の皮肉は「ここでそれを言いますか?」というような自虐的なユーモアを含む場合もあります。かつてイギリス国営放送で『Rip-Off Britain』という番組がありました。消費者目線で適正価格か査定するという内容で、rip-offは日本語に訳すと「ぼったくり」です。また商品を鑑定する『Fake Britain』という番組もあり、fakeも日本語にしたら「似非(えせ)」です。日本の国営放送で「ぼったくり日本」や「似非日本」のような番組名は考えられません。このように自国の文化を自虐的に語れることが、その国の文化的な成熟を示すと、ある英国雑誌には書かれていました。こうした文化の醍醐味はAIや翻訳機ではきちんと伝わらないと思います。
私は海外に住んでいたことがあり、現地ではインターナショナルスクールに通っていました。そこでは生徒の英語発音もさまざまで、標準から大きく異なる発音だと翻訳機を使っても英語と認識されず、全く別の意味や異様に長い文字列に訳されたりしました。それはそれでおもしろいけれど、これはもう翻訳機に頼らず、自分の耳で聞き取って理解するしかないと思いました。英語の多様性を考えると翻訳機はまだまだだと思います。
例えば、南アフリカでは「ここにお座りになりませんか」を「You must sit down.」と言うんですね。mustが「~しなければいけない」ではなく「~したらどうですか?」という軽い形で使われます。それを知らないと、やたらと命令されて窮屈だと感じるかもしれません。これも翻訳機にかけると正しくニュアンスが伝わらないかもしれません。
それでも翻訳機は英語が苦手な人にとってみたら魔法の杖のような機器だと思います。実際、私も第二外国語のフランス語の勉強では辞書代わりに便利に使っています。
私は翻訳以外に、AIの音声対話機能を用いて英語学習にも活用することもしています。具体的には、AIに事前に「今から英語のスピーキングの練習をしたいので、私が英語で話しかけたら英語で返答してください。その際に私が誤った表現や単語を使っていたらその場で教えてください。より英語母語話者らしい表現があればそれも併せて記載してください。」といった前提条件を与えます。そうすると「間違いは必ず直してくれる英会話の先生」と会話するのと同じ学習が可能になります。生身の英語母語話者だとこちらが伝えようとする英語の意味が伝われば多少間違っていても、会話の自然な流れを重視して敢えて修正してこないこともあるので、英語の流暢さより正確さを磨きたい場合は、AIを使用した方がよりその目的に叶っています。あとはいつでもどこでも学習できるのも利点です。

それは、英語力向上につながるAIの良い使い方ですね。大事なのは機械に使われない、機械を使う側の人間になることです。翻訳アプリは、いろいろな文例を出してくれます。それがイギリス英語なのかアメリカ英語なのか、くだけた表現かフォーマルな表現か、あるいは果たして正しいのかを判断するのは、結局のところ自分です。その判断能力を養うため、最近、英語教育の分野ではむしろAIを取り入れ、AIリテラシーを学ばせていくという動きがあるようです。そうやって自分で学ぶ力や自分で知識の体系を作っていく力を育成することが今後は大事でしょう。
私は2年次からデータサイエンス副専攻(※)を履修したことをきっかけにAIや翻訳に興味を持ちました。膨大なデータ量はAIの強みで、即時的に知らない単語や言い回しを提供してくれます。その一方で勝手に情報を生成してしまうところもあるので、やはり鵜呑みにしないことが大事だと思います。
※現在はデータサイエンス教育プログラム
文学でもデータを使った分析をする分野がありますし、分野を問わず科学的アプローチが求められており、いまやAIなど技術を無視はできません。しかし、翻訳アプリを使い続けていれば、もう英語力は要らないというのは拙速すぎます。実際、現在の翻訳アプリが生み出す言語はまだ完璧なものではなく、言語の質を判断するのは人間です。その判断ができる英語力とリテラシーが求められています。

一つの作品にも訳本が複数あり、それぞれに訳者の解釈が反映されています。それは翻訳機も同じだと思うので、原文を読んで自分で判断する力が必要になります。翻訳機が100%正解だと思わないで、一つの資料として使って自分で考える意識が必要ですね。
AIや翻訳機に頼り切らず、自分で考えて、言葉を選んで、それを発信していく。そうしないと、他者とコミュニケーションをとる力が弱まっていくと感じます。逆に言えば、いちいち翻訳機を取り出すのではなく、きちんと相手の目を見て即時にレスポンスしてあげられる英語力を備えることが信頼につながってくると思います。
それは書かれた英語でのやりとりも同じです。例えば取引先とのメールでも最初はとても丁寧な表現だったのが、次第にファーストネームで呼び合い、短いフレーズだけのカジュアルな言葉のやり取りに変化していくのはよくあることです。翻訳アプリ頼みでは、個人的にも仕事上でも意味のあるつながりを構築することはできません。また、言語の後ろには文化があり、言語を学んだ数だけものの見方を学べます。とくに英語はグローバルな言語なので、英語を通して世界の多くの文化へのアクセスが可能です。言語、とりわけ英語を学ぶことをやめてしまうのは、自らの可能性を閉じてしまうことになります。ですから、いま私たちに求められているのは、アプリをツールとして使いこなす知性や英語力を身につけることだと思います。
