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東京女子大学

トピックス

[レポート]

2016東京女子大学東日本大震災復興支援ボランティア活動報告

Thu.

プログラム概要

日程:2016年8月2日(火)~4日(木)
場所:岩手県大槌町
主催:ボランティア・ステーション

2日(火)
11:36 東京駅発
14:42 新花巻駅着、釜石線に乗り換え
16:41 釜石駅着
17:00 宿泊先:「三陸花ホテルはまぎく」チェックイン、ミーティング

3日(水)
10:00 ハンドベルコンサート準備
11:00 ショッピングセンター「シーサイドタウン・マスト」にて、東京女子大学 ハンドベルクワイヤフェリーチェ コンサート開催
13:00 小鎚第4仮設集会所(エコハウス)にて「お茶っこの会」
15:00 「おらが大槌夢広場」にて「大槌町語り部ガイド」ツアー
18:00 ミーティング

4日(木)
10:00 特別養護老人ホーム「三陸園」にて清掃等のボランティア、ハンドベルコンサート、合唱、レクリエーション
12:00 「復興商店街」にて各自昼食
17:19 新花巻駅出発
19:56 東京駅着 解散 

2016年度 東日本大震災復興支援ボランティアをふり返って

城倉 由布子 (キリスト教センター宗教主事)

活動の変化
震災から5年が経過し私たちの活動も変化を余儀なくされている。2012年春に初めて大槌町を訪れた時は、遠野市にボランティア・センターを置く日本バプテスト連盟のコーディネートのもと、学習支援やお茶っこ等のボランティアをさせていただいた。その後、日本バプテスト連盟は2014年にボランティア・センターを閉鎖したが、引き続き現地支援の働きを金子千嘉世牧師(郡山コスモス通り教会牧師)が担っておられ、私たちの活動も引き続き、金子牧師のコーディネートのもと行うことができた。しかしながら、金子牧師のご病気の為、今年度より東京女子大学単独でボランティアのプログラムを組まなければならないというチャレンジを与えられた。そのため、昨年よりも一日短い日程を組まざるを得なかったが、今まで活動をさせていただいた場所の皆さんは、私たちを快く受け入れてくださり今後の具体的な活動への希望も聞かせて頂いた。

私たちの宿泊場所も復興の度合いが進むにつれて心地よい場所へと変化してきていることはある種感慨深いものがある。2011年の仙台では、教会に分宿させて頂き、礼拝堂の床の上や長椅子に寝袋で就寝した。その後の、遠野市でも寝袋持参は変わらず、日本バプテスト連盟のボランティア・センターで宿泊させて頂いた。センター閉鎖後は、遠野市のユースホステル、岩手県山田町の青少年センターと場所を変えてきた。そして今年は、二年前に復活営業を遂げた「国際観光ホテルはまぎく」に宿泊した。このホテルもまた津波による甚大な被害を被ったホテルで、大槌町訪問の度に被災の傷跡が残るこのホテルに心を痛めながら道を通り過ぎていた。そのホテルに今回宿泊することができたことは、これまた感慨深い。

大槌町の復興の様子

盛り土によるかさ上げ工事が完了しない限り海岸地域への住宅再建設は許可されず、それには10年近い年月が必要だと仮設に住む被災者の方々はこの間、嘆いておられた。しかしその計画も変更され、かさ上げは一部のみとなり、すでに住宅が建設され始めていた。新しい道路も完成しており、昨年まで遅々として進まないかに見えた大槌町の復興も計画の変更によりスピードアップされているように感じた。

そのような中、今回は初めて「おらが大槌夢広場」という語り部の活動をされている団体にお願いし、学習ツアーを行った。将来また必ず来るであろう大津波に対しての危険を承知で沿岸部に帰る決断をされていること、それには危険への覚悟と誰しもが命を落とさないための防災計画と街づくりが絶対に必要であり、行政や住民との多くの話し合いを積み重ねておられることを教えて頂いた。

私たちの活動を喜んでくださる方がいる限り、もう少し学生派遣を続けて行きながら復興を見守らせて頂きたいと思う。 

参加学生の感想

Y.N さん (日本文学専攻2年)

「電柱の街」という言葉を聞いて実際に街を目にしたときの衝撃は、恐らくこの先ずっと忘れることがないだろう。

私は今回のボランティアが2回目の参加となる。今年もまたハンドベルサークルの一員として、音楽で人の心を動かせたら、という思いで演奏に臨んだ。言葉だと、震災を経験していない私たちは被災者にどう声をかけたらいいか迷うが、音楽は言葉がなくても伝わることがある。悲しいときに音楽を聴くと元気が出るというのと同じだ。だから施設での演奏で、涙を流してくれた人がいたと聞いたときは、自分たちの演奏が大槌町の人達に届いたのだと嬉しくなった。

2日間の演奏のほかに、今年は初めて語り部ツアーに参加させてもらった。震災当時の話を、現場を回りながら聞くというのは貴重な経験となった。そのときに聞いたのが、冒頭の「電柱の街」である。これまで写真やバスの移動中に、元々建物があったが津波で流されてしまったという場所を見てきたが、元の姿を想像することは難しく、町の存在を実感できなかった。ところが電柱の立ち並んでいる光景は、そこにあった住宅街を彷彿とさせるのに充分だった。ここには以前人が住んでいて、さらに再び住もうとしているリアリティさが感じられる、そんな場所であった。

ツアーでは、復興の現実も語ってくれた。先ほどの電柱の街も、電気は地下を通すべきだという声があること、東京オリンピック開催準備に伴い人員が足りず復興が遅れていること、旧大槌町役場を保存するかどうかの問題が浮上していることなど、現地の人でないとわからないであろう話がたくさんあった。これはこういった機会でないと聞けないお話だと思う。貴重な時間を過ごせたと心から感じた。

去年よりも1日少なかったが、劣ることのない、むしろ去年以上のボランティア活動ができたのではないか。今年は震災から5年目であるが、まだ現地には課題があることもわかった。今後もボランティアとしては当然であるが、そういった名目がなくても大槌町と交流ができたらいいなと思った。 

S.K さん (心理学専攻2年)

私たちは8月2日から4日の3日間、岩手県大槌町にて被災地ボランティアをしてきた。私は去年に引き続き今年で2回目の参加となったが、今年は大槌町語り部ガイドツアーに初めて参加した。地元の方によって被災当時の状況、そして現在の街の様子、そして大槌町への想いを語っていただいた。

去年と同様一番被害の大きかった大槌町の役場を訪れたが、どのような被害を受けたのかツアーを通じて初めて分かり、自然災害の恐ろしさを実感した。地震が起こった後、役場では対策本部を設置したため多くの職員が残っていた。そこに大津波が来たとき、生き残ったのは屋上の旗ポールに上っていた人だけだったという。しかしこの悲劇は本来であれば防げたのだ。実は震災時のマニュアルが役場にあり、地震が起きたときはすぐに近くの高台に避難するという方針があったのだ。規模が大きい震災であっても常日頃から訓練をしていれば被害は最小限にできただろう。東日本大震災の教訓として訓練の大切さを再認識し、まずは自分の身の安全を確保しなければならないと思った。

また去年の大槌町と比較してみると、家が建ち始め復興をしていく様子が感じられたが、町の中心部に行くとまだ更地が多く、電信柱の街になっていた。そして東京ではあれだけ多くの重機が見られるにも関わらず、この町では重機がポツン、と点在しており、復興が遅れていると思わざるを得なかった。また大槌町では美味しい湧き水が多くの場所から出ていたそうだが、地元の人の意見を聞かずに埋め立てをすすめてしまったためにその湧き水が出なくなってしまったそうだ。このことから地元の人と国や県の間で連携がうまく取れていないことが伺える。そしてツアー中に東北の現状をもっと知ってほしいという強い思いを語っていただいた。復興の為に政治家が視察に来ることがあっても、街の様子をしっかりと見ていく人は少ないそうだ。住民が一番困っていることを知らずに話を進められるため、ニーズに合っておらず多くの人が不満を抱えている。復興は政治家のためではなく、住民のよりよい生活の為にあるのだ。当時から支援できることは変わってきているが、多くの人が東北のことを忘れずに、そして声にすることも支援につながると思った。 

I.M さん (コミュニケーション専攻2年)

今年も岩手県の大槌町に赴きボランティア活動をしたが、今年は「大槌町語り部ガイドツアー」の中で実際に被災地を巡りながら、復興の現状と現地の人の内情を去年以上に知ることができたと思う。ツアーの中では、蓬莱島で赤い灯台が被災によって倒壊してしまったため以前よりさらに高くして再建した話を聞いたり、津波から逃げるための避難道や壊れたままの鐘を見たりして、テレビの情報だけでは知ることのなかった実際の津波の被害の重さや、実際に被害を受けた人々の思いなどを痛感させられた。また、私たちがその時歩いた道はとても急な坂道となっていて、これでは現地の人々が災害時に怪我人を運ぶのにも一苦労するだろうということも容易に想像出来たし、それと同時に私たち自身も、普段の避難ルートの確保や、避難訓練などを出来るだけ多くの人と一緒に行うべきであり、これを行うことによって自分だけでなく町全体の安全に繋がっていくのだろうとお話を聞く中で深く考えさせられた。大槌町の方の話を聞いていると、町の人々はその地域の文化をとても大切にしていることや、その彼らの思いやりや優しさが町全体を活気づけていることにも繋がっているように感じられたので、ただ新しいものを建てて復興するというわけではなく、現地の人の意見を大切にし、元からあったものを残し町民の考えを取り入れつつ復興活動をしてほしいと思う。 
 また、今回も去年と同じくショッピングセンターの「マスト」や老人ホームの「三陸園」でハンドベル演奏を行ったが、その中で「ふるさと」を聞いていた方々が一緒に歌ってくれたりしたのを見て、私自身が復興支援のために直接できることは少ないが、町の人達と交流することによってお互い笑顔になれるし、相手を楽しませることは出来るということが感じられた。今回のボランティア活動を通して、大槌町の現状理解だけでなく、私たち自身も災害の対策や他者との交流、思いを深めていくことが大切であることを改めて感じさせられた。

H.Kさん (心理学専攻4年)

今回のボランティアに参加しようと思ったのは、高校生のときに宮城県の沿岸部に震災ボランティアに行った経験が心に残りその後の経過が気になっていたからです。震災から1年目の時、流されたところは土台で何もなく、人もいなくて静かでした。寝袋や食事を持参して行きました。道路がひび割れてしまい車が走れず、自転車で5キロペダルをこいで片付けに行きました。大学に入ってから行きたいと思いながらもサークルの合宿と被り、なかなか参加できませんでした。今回ようやく参加できて良かったと感じています。
実際に大槌町に行ってまず感じたことは思ったよりも復興が進んでいないという点でした。語り部の方のツアーに参加した時の話です。淡々と語っていましたが、知り合い8人が未だ行方不明なこと、夢を持って購入した住宅が流されたこと、2重ローンを背負っていること、仮設が狭く、孫たちにもやむを得ず「来るな」と言わざるを得ないこと…想像を絶する思いを経験してきたのだと感じました。それでも大槌町が好きで離れたくないと思っていることがひしひしと伝わってきました。

震災から5年が経ち、地元の人と接して分かったことは復興に対する課題でした。心の傷だけではなく、経済的な苦しみ、国の進める【災害に強い町としての復興】と地域住民の望む【震災前の町に戻す復興】にズレが生じていることを知りました。テレビで見る仮設住宅は大きく見えましたが、実際は想像していたよりも小さい印象を受けました。長期間暮らすのは大変なことも多いだろうと感じました。今回は仮設住宅や高齢者ホームも訪れました。私はギターを持っていき、「ふるさと」を演奏しました。初めは「みんな知っているから…」と思い、練習していきました。しかし、震災前の平穏な暮らしの写真を見たあと少し考えが変わりました。地元の方が「ふるさと」を聞いたときにどんな風景を心に思い浮かべるのかな…と想像したらとても切ない気持ちになりました。

一方、5年経ち希望や前進を感じさせる場面にも出会いました。例えば、建設中の家、クレーン車、学園の建設、開通した道路、漁港の前の新しい会社、津波を被ったホテルの海の幸が満載の食事、仮設のラーメン屋さんの活気のある店員の声。新しい店や新しい場所で少しずつだけれど確実に希望を見つけ生活する人々の姿を目にすることができました。私自身が感じたこととしては、今回は単なるボランティアではなくて「観光」の意味合いが含まれていたように感じました。それは、被災地が人を歓迎することができるくらい回復した証拠であると感じました。

今私にできることは何だろう、と考えています。忘れないこと。大槌町で撮影した写真や語り部の方から聞いた話を伝え、語り部の拡声器の役になること。メッセージを送る事。継続的にできることとしては岩手や被災地の観光や旅行、彼らが作ったものや食べ物を日常に取り入れることだと思います。そうすることで経済的な面を支え、応援する気持ちを伝え、町を元気にする一助になれたらいいと思っています。

H.N さん (英語文学文化専攻3年)

私がこの東北被災地支援ボランティアに参加するのは今年で3回目でした。テレビや新聞、ネットから情報を得るだけではなく、自分で行き、自分の目で見て、自分の耳で聞き、実際に被災者の方々と触れ合うことで、メディアからは得られない"リアル"な被災地を知ることができます。私はそのときそのときの"リアルな"被災地を知りたいと思って毎年参加しています。5年も経てば、ある程度は"復興"しているだろうと思う方もいるかもしれませんが、実際に沿岸地区では建物などはまだ建てられておらず更地のままで殺風景だったり、クレーンやタンクローリーなどたくさんの重機が街の至る所にあったりと、復興は進んでいるようで進んでいないような状態です。

しかしながら、"リアルな"と言っても、実際に自分は被災した当事者ではないし、完全に被災者の気持ちを知ることはできません。また彼らに対して具体的になにをすれば良いのか分からず、私は毎年これらのことに葛藤を感じます。しかし、毎年交流している小槌第四仮設のおばあちゃんたちとの交流の中で「来てくれてありがとう。」という声が聞こえました。物理的に復興に繋がることは出来ないけれど、このように、実際に訪れて被災者と交流することによって、彼らの"心の復興"のお手伝いができるのかなと思いました。今年は「ボランティアの数が少なくなっている。」という声を聞きました。そのとき私は、被災していない日本中の人たちが、東日本大震災が起こったこと、またそこで起きたことを忘れないこと、また忘れられないように伝えていくことが大切であり、それも私たちのできる大切な役割であると強く感じました。また語り部の方のお話を伺った際には「国と大槌町民の復興の方向性が異なる。」とおっしゃっていました。具体的に言うと、国はより「災害に強い」街づくりを"復興"の指針としているが、大槌町民は「元どおり」の街づくりを願っているそうです。しかも国は町民の意見に聞く耳を持ってくれないとおっしゃっていました。そのとき私は、国と大槌町民の"復興"の方向性が異なることが、"復興"を遅らせる大きな原因であると確信しました。また語り部の方は「この状況を東京に持ち帰って皆に伝えて欲しい。」とおっしゃっていました。もちろん、メディアではこのようなことは報道されません。だから、こういった被災者、被災地のリアルな声を聞いて、まわりの人たちに発信することも私たちの大切な役割なのではないかと再確認することができました。

毎年もいろいろな大切なことに気付かせてくれる被災地ボランティアに参加できて、本当に嬉しかったです。ぜひ来年も参加したいと思っています。