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東京女子大学

ストーリー

[卒業生]

女性というジェンダーを見つめ行動で示していく。「女性社長」が驚かれない未来へ

1991年 文理学部 英米文学科(当時)卒業 株式会社ポーラ 代表取締役社長 及川美紀

「このあたりの建物、変わらないですね」と、写真撮影中、瞳を輝かせながらまぶしげに校舎を見上げていた株式会社ポーラの代表取締役社長、及川美紀さん。進学先に迷っていた高校生の頃、入学案内のパンフレットを見て、東京女子大学の校舎に惚れたという及川さんは、男女雇用機会均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律)が施行された翌年の1987年に、故郷の宮城県石巻市から上京し、当時の文理学部英米文学科に入学。卒業後は、新卒で入社したポーラで働き続け、2020年、社長に就任されました。

お話の端々から、主体的であることや多くの選択肢を持つことを大切にしていることがうかがえる及川さんは、数ある大学のなかからなぜ東京女子大学を選んだのでしょうか。会社を経営するうえでも生きているという東京女子大学での学びの経験や、今よりも女性の働く機会が限定されていた時代にポーラに入社してそこから切り拓いてきた道について、また経営者として感じている女性が働く環境についての率直な思いを、ほがらかにお話ししてくださいました。

経済力を持たないと人生の選択の幅が狭まってしまうから、一生働きたいと思っていた

─及川さんは高校生の頃から、一生働こうと考えられていたそうですね。

及川:経済力を持たないと、人生の選択の幅が狭まってしまいます。だから一生働きたいと思っていましたし、仕事の選択権を持つためにも、東京に行って大学教育を受けたいと思いました。そこまで経済的に恵まれていない田舎の家庭で育って、親の世代の女性がいろいろな我慢をしているのを見ていたから、どうしたら自分の可能性が開けるのかをすごく考えていました。それに、私の実家は家族円満でしたけど、たとえばたまたま結婚した相手とうまくいかなかったとしても、どちらかの経済力に頼っていると、別れられないという場合もあります。だから経済力は、自主的な選択権を持つための大事な要素の一つだと思っておりました。

及川美紀さん

─高校生の時点でそこまで見据えられていたんですね。

及川:ただ、東京の大学に進学するにあたっては父からの条件があって、「この大学なら許す」という大学の名前がいくつか出されていたのです。そのなかに、東京女子大学も含まれていました。当時の私は芳しくなかったから、多分ここまで条件を出せば諦めるだろうという気持ちもあったのだと思いますが、条件が出てきたのをいいことに、猛勉強しました。

─お父様からいくつか候補が出されたなかでも、なぜ東京女子大学を選んだのですか?

及川:まず学校説明のパンフレットを見た時に、この校舎に惚れました。こんなに美しくてかっこいい場所があるのかと思いましたね。それから、「赤本」を見ていくなかで、東京女子大学の入試問題って面白いなと感じました。設問が全部英語で、それが当時すごく珍しかったです。それに選択形式でたくさんの問題を解かせるわけじゃなくて、2個くらいの大問を解かせる、読解力を問うような設問だった。考える力を求められている感じがして、自分と相性がよさそうに思えたのです。それで、第一志望を東京女子大学にしました。

歴史、芸術、哲学、文学、宗教。さまざまな分野を知り総合的に判断する力が今に役立っている

─無事合格して、入学されてからの学生生活はいかがでしたか?

及川:1年生ではまず一般教養を学んだのですが、その時点で自動的にクラス分けされるのではなく、自分で選択した科目によってクラス分けされました。入学した当初からなにを学びたいかを問われている感じがして、面白かったですね。それぞれが自分の興味によって授業を選択するので、人に合わせて行動することがなくて、よい意味でつるまない。自分で決めることが当たり前になっていて、東京女子大学の人たちって自立しているなと思いました。

─入試問題から一貫して「考える」ことを重視しているんですね。

及川:考えろ、自分で決めろ、想像せよ、という感じですね。勉強はついていくのに必死でしたけれど、ありとあらゆる興味のある事柄について学べました。今思うと、せっかくキリスト教の大学に通ったのだから、宗教学はもっと勉強しておけばよかったです。このグローバルな時代にいろいろな国の方とお話しする時に、思考のベースにキリスト教がある方も多いですから。そう思って、宗教については数年前にちょうど学び直したところでした。

─学生時代に学んだことって、社会に出てからその大切さに気付くことがありますよね。

及川:1年生の時にとっていた哲学の授業も、人生において必要な学問だなと50代になってからあらためて思います。大学時代の哲学の教科書はいまだに本棚にとってありますよ。『哲学入門以前』という本を書かれた川原栄峰先生の授業がすごく楽しくて、毎回大爆笑をしていました。

─哲学と爆笑ってあまり結びつかないですね(笑)。

及川:先生の話術がとにかく面白くて。哲学ってあらゆる視点で物事を見て、思考力を鍛えられる学問だと感じます。だから、私たちがどうあるべきかを問うていくうえでも、東京女子大学の教育方針になっているリベラル・アーツの考え方は大切なものだと思います。高校までの勉強は、知識を頭に入れ込んだり、正解を出すことが中心だったけれど、リベラル・アーツはそうではなくて、いろいろな事柄をインプットして総合的に判断する力が問われているのですよね。50歳になった今、あらためて「よい教育を受けたんじゃないか」と思っています(笑)。役に立つのかな?と思うものほど実は大事なのですよね。

─役に立っていないように感じられるものほど大事だと及川さんが感じるのは、どのような場面ですか?

及川:私は消費財メーカーにいますから、会社の視点と、お客様の視点、社会の視点、3つの立場から物事を見なければいけません。その時に自分自身の判断を一回疑ってみることをしないと、つい会社の視点だけで物事を見てしまいます。そういう視点の転換って、自分の見える範囲で正解を探しているだけだとなかなかできないものだから、そのためにもさまざまな分野について知っておくことはとても大切です。歴史、芸術、哲学、文学、宗教、すべては人間が生きていくうえで必要で作り出したものだから、どこかでつながっているものですよね。私は学生時代に英米文学を専攻して、「文学なんてなにになるの」なんて言う人もいますけれど、文学には人生があります。世の中は人同士で成り立っているものだから、人間が作り上げてきたものというのは、とても大切だと思うのです。

及川さんが当時お気に入りだったというライシャワー館

男女で役割を決められることへの違和感を、行動で示すことで環境を変えていく

─ご卒業後、及川さんは現在社長を務めていらっしゃるポーラに就職をされますが、ポーラを選ばれたのはなぜだったのでしょう?

及川:実はもともと学校の先生になりたくて、教職課程をとっていました。そんななか、会社勤めをされてから教職に就いている先輩とお話しする機会があった時に、「学校の先生という仕事は素晴らしいけれど、一度企業で社会人経験をしてから先生になると、視野が広がっていいわよ」と言われたのです。それを聞いてかっこいいなと思って、まずは企業で務めることにしました。

─それで就職されることにしたんですね。

及川:ただ、当時も男女雇用機会均等法があったとはいえ、男性が200人採用されるなかで女性は2人だけしか採用しないような企業が多くて、そういうところで自分の居場所を切り拓いていく勇気は、私はありませんでした。そこで、女性のための製品を扱っている会社だったら、自分らしく働けるんじゃないかと考えました。ポーラは当時から働く人の男女比率が50対50だったし、女性管理職もいました。25歳を過ぎると女性が「お局」と言われていた時代ではありましたけど、25歳以上どころか、40代・50代の女性も多く在籍されていて、子どもを産んでいる人もいた。ここだったら長く働けそうだなと感じたのです。それで試験を受けて、運よく入社できることになりました。

─入社から2年後にご結婚され、その後、販売会社への出向を言い渡されたそうですね。

及川:結婚した相手が同じ職場だったから、夫になる人の方に本社に残ってもらいたいと当時の上司からはっきりと言われました。彼の方が1年キャリアも長いし、私は入社したばかりだったから当然とは思いつつ、最初はもちろんショックでした。ただ、出向先の方が「及川さんが来てくれてよかった」と言ってくれて、その言葉に救われて。誰かの役に立つって、仕事においてすごく大事なことじゃないですか。新入社員だしなにかできるわけでもないから、誰かの役に立てるなら、喜んで役に立とうじゃないかと思ったのです。

─必要としてくれる人がいたことで前向きになれたんですね。あるインタビューで、「女性は自分の理想と比べて足らない部分に目がいってしまうことが多い」というお話をされていたのを拝見しました。これは及川さんご自身のご経験として、そのように感じられることもあったということなのでしょうか。

及川:自分で言うのもなんですけど、能力自認は低いと思います。私の場合は、だからこそ自分にできないことを人に頼めるんですけどね(笑)。ただあまりにも低すぎると、卑屈になってしまいます。私から見るとすごく能力があるのに、「まだまだです」と昇進などに尻込みする女性は多いです。

─女性が一歩下がることをよしとするような風潮は残念ながらまだありますね。

及川:そういう教育を受けていると、謙遜の美徳みたいなものが染み付いてしまいますよね。できることややりたいことに手を上げると、「でしゃばり」だと言われますし。でも、でしゃばるくらいでちょうどいいと私は思っています。私が入社した頃、意思決定者は男性が多くて、女性はその実行役をするといった役割分担がありました。それに、「女性はお茶汲みをするもの」といったような文化もあって。そういう男女で役割を決められることに違和感を感じていたので、自分で判断し、自分で責任をとることを実際に行動で見せていきました。

─「能力自認が低い」と感じられていたなかで、それでもご自身を卑下せずに行動できていたのはなぜですか?

及川:開き直ることですね。私はMBA(経営学修士)も持っていないですし、英語も気楽な日常会話程度です。営業をやっていたのに、計算もいまだに苦手で、ときどきPL(損益計算書)の桁を勘違いして、億と千万を間違えることもあります(笑)。できないことがいっぱいあります。そこで格好つけてしまうと余計に間違いを起こすので、自分が学んでこなかったことやできないことはきちんと受け止めようと思っています。ただし、できないこと以上に、自分にしかできないことはきっとある。自分の得意技に目を向けるということは同時にとても大切なことです。すべてで100点満点を取らなくてもいいと思えたことで、変なプライドがなくなって、楽になりました。私には、努力と根性とへこたれないメンタルの強さという、強みもある。いつも会社のメンバーにも言うのですが、ないことを補う努力をすることは大事だけど、一つでいいからこれは得意だと言えることを見つけられると自信になりますよね。

女性も、がん患者も、マイノリティではないはずなのにビジネスの世界ではマイノリティになっている

─及川さんは社長に就任後、「女性のエンパワーメント原則(WEPs)」に署名されたり、「30% Club(企業の重要意思決定機関に占める女性割合の向上を目的とした世界的キャンペーン)」に参加されたりするアクションを起こされていますが、女性の働く環境について、今どのような思いを持っていらっしゃいますか。

及川:弊社はこれまでにも女性の管理職が山ほどいたし、役員になったのも私が女性で4人目です。最初の壁は厚かったと思います。でも先に歩いてきた人たちがちょっとずつ壁を破ってくれたから、今私がちょっと薄くなってきた壁を破れる。自分もそういうことを次の世代にしなくてはいけないと、いつも思っています。私が社長になった時に一番びっくりしたのは、「女性社長」であるということに多くの人に驚かれたことです。

─残念ながら、大手の企業では女性が経営者になることがまだまだ珍しい状況にありますね。

及川:それだけ日本の女性たちには門戸が開かれていないのですよね。これまで能力を持った女性たちにいっぱい会ってきて、なぜその人たちが意思決定を行うポジションに就かなかったのか不思議でした。可能性があるのに、機会を与えられずに本当の実力を発揮できなかった人たちがどれだけいたのだろうと感じずにはいられません。弊社は役員比率が女性40%、管理職は30%が女性ですが、世の中はまだまだです。そのような状況のせいなのか、世の中では女性が成功してもなにも言われないのに、失敗すると「女性だからだめだったんだ」と言われてしまうことも悔しいことに存在しています。だから、もし私が失敗したら、女性だからだめだったではなくて、及川がだめだったとちゃんと言うつもりです(笑)。おかしな言い方ですけど、「あの人でもできるんだったらうちの会社にもできる人がいるだろう」と思ってくれる会社が増えたらいいなと思っていますね。

─現在の社会は、家事や育児や介護を担わない、健康で体力のある男性の働き方が前提となっていて、その働き方に合わせられることが、活躍の場を与えられるうえでの条件になってしまっていることが多いと感じます。ポーラには2019年にギネスで認定された当時99歳のビューティーディレクターの方がいたり、働くことを希望するがんにかかった人たちのためのサポートプログラムを用意されていたりするそうですが、さまざまな状況にある人が働きやすい環境を作ることについて、及川さんはどのような考えをお持ちでしょうか。

及川:私はビジネスのなかでマイノリティになっている人が、自分の意思に沿った仕事の機会を持てるようにしたいです。女性は人口的にはマイノリティではないのに、ビジネスの世界ではまだやっぱりマイノリティじゃないですか。がんだって生涯において二人に一人がかかると言われているのに、働く機会を失ってしまう人が多い。病気の場合は命に関わることだから一概には言えないけれど、一人ひとりがいろんな生き方の可能性を見つけられることが、包摂的な社会なのではないだろうかと考えています。女性だから、子どもがいるから、病気を患わっているから、とひとくくりにしてしまうと、「気晴らしになるから仕事がしたい」という人もいれば「それどころではないから休みたい」という人もいることが見えなくなってしまう。個を見る力と、状況に合わせて判断するということが、非常に大事だと思っています。

─病気になったり歳を重ねたりすると、それだけで一律に扱われがちなことも多いですけど、病や老いという状況にあるだけで、本当は一人ひとり別の思いを当然持っているはずですよね。

及川:年老いたり、怪我をしたり、後天的に障害を持ったり、子どもを抱えていったん社会との接点が少なくなるようなことは誰しもに起こり得ます。私は社長をやっていますけど、一度会社から出るとただの人です。昨日から五十肩で肩が上がらなくなっちゃったので、洗濯物一つ干せないし、着替えもできないから、娘に手伝ってもらいました。そうやって、一人のなかにもいろんな自分がいるわけですから。

女子大というのは、個に光を当てて、いろいろな物差しで物事を見る、よい学びの機会だと思います

─最後に卒業生として、これから女子大で学ぶことを考えている人や現在学んでいる人に、メッセージをお願いします。

及川:女子大のように、女性というジェンダーをしっかり見つめて、「女性にはもっと可能性がある」ということを声高に言ってくれる場所はあまりないと思っています。これからの社会をリードしていく女性たちがどうあるべきかを真剣に考えてくれている環境は女子大ならではだと思います。東京女子大学の卒業生は、権力欲や出世欲などが強いいわゆる「上昇志向」というよりも、まじめにこつこつ積み重ねて今の姿に辿り着いた人が多い印象で、そうしたたくましさも東京女子大学で得ることができたことの一つだと感じています。

─女子大という環境にいることによって、女性というジェンダーについてあらためて考える機会を得られるんですね。

及川:たとえば都立高校では、入試の合格ラインが性別によって違って、女子の方が高い点数を取らなければならない学校が多いです。そうすると、相当能力の高い女性じゃないと選ばれなくなってしまいます。普通の女性が普通に選ばれる世の中にしなくてはいけないと思っています。そういうことに疑問を持つためにも、まず女性というジェンダーで生きている己を見つめることはすごく大事だと思うのです。私は高校も女子校で、女子大と合わせて7年間女性だけの環境で暮らしてきたけれど、こういう環境は貴重だなと思います。共学では個性よりも「女性」というくくりで見られがちなことも、女子校にいると「個」として見てもらえる。学生生活の間にいろんな個性を持つ女性がいる環境に身を置くことができたのは、すごくよい経験だったなと思っています。物事はさまざまな物差しでものを見た時に深まります。女子大というのは、個に光を当てて、いろいろな物差しで物事を見る、よい学びの機会だと思います。
及川美紀
株式会社ポーラ 代表取締役社長

宮城県石巻市出身。 1991年東京女子大学文理学部英米文学科卒。㈱ポーラ化粧品本舗(現株式会社ポーラ)入社。美容教育、営業推進業務、2009年より同社商品企画部長を経て 2012年執行役員、2014年取締役に就任。教育、マーケティング、商品企画、営業など化粧品事業のバリューチェーンをすべて経験し、2020年1月より現職(取材時)。好きな言葉は「可能性の扉は自動ドアではない」。

スタッフ

Interviewer・Writer:
松井友里
Photo:
吉田周平
Editor:
竹中万季