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東京女子大学

クリスマスメッセージ(『学報』2015年度第3号より)

三つのE〜時代の大きな曲り角の中で、クリスマスを迎える

江口再起(大学宗教委員長・現代教養学部長教授(共通教育))

時代の大きな曲り角の中で

クリスマスは、1年の終わりにやってきます。そこでクリスマスの季節には、私たちはキリストの誕生を祝うと共に、この年の世界や社会の動き、この年の自分の過ごし方を、しばし考えることともなります。今年は、どんな1年だったでしょうか。

とくにベツレヘムの馬小屋のあの清い幼な子のことを思い浮かべるならば、私たちの社会はどうだったのか、私自身はどうだったのか。そこには、あまりに大きなギャップがあります。

2015年。戦後70年。それは誰の目から見ても、歴史の大きな曲がり角でした。平和の理念を捨てつつあるようにみえる安保法制の成立、ヨーロッパに押し寄せるシリアからの難民の群、そして忘れてならないのは未だ仮設住宅などに住まざるを得ないフクシマの8万人もの人々の現実。これが2015年という年です。 

「彼らには泊まる場所がなかった」

5月の連休に私は、福島第1原発の近くにまで行ってみました。3.11のフクシマ原発事故以来、今でもJR常磐線は竜田—原ノ町間は開通していません。ところが連休前の3月に、JRと平行して走っている常磐自動車道がやっと全線開通したのです。そこでさっそく私はタクシーで福島第一原発の近くの行けるところまで行ってもらうことにしました。

タクシーで行くといっても、放射線量が高いので外に出たり、窓を開けることはできません。いわゆる帰還困難区域です。そして何より驚かされたのは、自動車道沿線の風景です。死の街でした。人間が1人もいない。地震当日の、壊れたままの家屋。原発事故のため急いで避難したのでしょう、スーパーの大きなガラス戸ごしに見える店内の商品の散乱した有り様。4年前そのままです。時が止まっている。人ひとりいない。不気味な静けさ。そういう風景が福島第一原発の近くまで延々と続くのです。人が住めない土地。死んだ街。この地上に、この日本に、人間の住むことのできない場所が出現したのです。

人が住むことができない場所、住む場所のない人々。シリアの難民も住む場所がないのです。フクシマの帰還困難区域にも、もちろん人は住めない。そして2000年前、あのベツレヘムにたどり着いたヨセフとマリア、そしてマリアのお腹にいる幼な子にも「泊まる場所」がなかった。聖書には、こう記されています。「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ福音書二章六~七節) 
(以下は『学報』本誌でご覧になれます)

三つのE

飼い葉桶