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東京女子大学

ストーリー

[卒業生]

自分に合った場所でその人らしく生きる、それがその人の働き方

1965年 文理学部 英米文学科(当時)卒業 翻訳家・演劇評論家 松岡和子

シェイクスピア劇全作の新訳を成し遂げた翻訳家・演劇評論家の松岡和子さん。 国内3人目となる偉業です。シェイクスピアや芝居との出会い、翻訳を支えてくれた人についてなど、 完訳に至るまでの半生をうかがいました。

『夏の夜の夢』で芝居に目覚めた大学時代

母が東京女子大学の卒業生。母の大学時代のカナダ人の恩師が講師を務める英語教室に小学4年生くらいのときから毎週通い、日本語を一切使わないダイレクトメソッドで行われたこの教室を通じて、私は英語を好きになったように思います。クリスマスになると先生が教師館に招んでくださったりしたので、 東女には小さな頃から親しんでいました。大学進学の際には津田塾とどちらにいくか悩みに悩みましたが、結局家から近いこともあり、東女への進学を決めました。

絵を描くことが好きだったので、大学では洋画研究会に所属していましたが、もう一つ「原文で一作でもシェイクスピアを通読しなければ」と意気込んで、「シェイクスピア研究会(シェイ研)」にも顔を出しました。みんなで『ハムレット』を輪読していたときのことです。父王の亡霊が現れて、毒薬を耳に流し込まれたと言う箇所で「ears」と複数形が使われていました。先輩方があまりに真面目だったので場を和ませようと、「earsと複数形になっていますけれど、右の耳に毒を注いで、頭をひっくり返してもう一方の耳にもいれたんでしょうかね?」と発言したところ、まったくの無反応。恥ずかしく、また先輩に反感を持たれたのではと思い、それ以降行くのをやめてしまいました。

ところがある日「今度『夏の夜の夢』をやるからボトム役をやってくれない?」と上級生から頼まれたのです。シェイ研は毎年4月に新入生歓迎と部員勧誘の両方を兼ねて、講堂でシェイクスピア劇を原語で上演していたためです。『夏の夜の夢』も読んでいませんし、ボトム役がどんな役かも全然知りませんでしたが劇がとても好きでしたし、先輩方の迫力に押されたこともあって引き受けることにしました。劇は好評。私も先輩から褒めていただいて、芝居をつくることの魅力や素晴らしさに触れ、この頃から「芝居に関わって生きていきたい」と思うようになりました。
もし誰かに「大学時代に得たものは何ですか」と問われれば、真っ先に、今に至るまでつながっている親友との出会いだと答えますが、もう一つ忘れてはならないのは素晴らしい先生方との出会いです。第2外国語の仏語の先生だった二宮フサ先生には大いに憧れて研究室に入り浸りましたし、音声学の西野和子先生とも長くお付き合いをさせていただきました。「私もこうありたい」と思うロールモデルとなるような先生方に出会えたことはとても幸運だったと思います。

そして最大の恩師が3年次に出会ったC・L・コールグローヴ先生です。先生は、私の生涯最大の恩師と言えるでしょう。特講「英米演劇を読む」はとても要求が高く、大学院並みにたくさんの作品を読むので、授業で使う本が生協の書店にツインタワーで並ぶほど。それに恐れをなして授業をとるのを辞めてしまう人もいましたが、芝居に目覚めた私は熱心に授業を受けました。ここで戯曲を読む面白さ、戯曲をビジュアライズすることへの扉を開いてもらったように思います。

シェイクスピアから逃げシェイクスピアに近づく

芝居に携わって生きてゆきたいという決意は固く、卒業後、文学座から分裂して福田恆存氏と芥川比呂志氏とが興した「劇団雲」の研究生になりました。雲の旗揚げ公演の『夏の夜の夢』がとても面白かったのと、当時東京の劇団の中で唯一雲だけが演出部の研究生を募集していたからです。しかし大学で演劇をかじっただけの私は、プロの人たちに囲まれて「自分には強みとなるものが何もない」と感じるばかり。1年半たったところで、顔を洗って出直しますと退団。シェイクスピアを勉強しようと東大大学院に進学し、小津次郎先生のゼミに入りました。でも シェイクスピアはやはり難しく、またまた逃げて、修士論文のテーマはジョン・フォードにしました。ところがフォードは丸ごとシェイクスピアの影響を受けていると判明、修論を書くにはシェイクスピアを読み込む必要があったのです。

実は縁あって院生時代に結婚し出産。小さな子どもを抱え、演劇の世界に戻ることは難しいと距離を置いていた頃、東女の非常勤講師をしていました。そのときにコールグローヴ先生から「シェイクスピアの講義をやりなさい」と言われました。「専門家でもないので、とんでもない!」とお断りしたのですが、 先生は「シェイクスピアのPRをすればいいんだよ」とおっしゃっ た。この作家の劇がどんなに面白く、言葉がどんなに素敵かをPRする、それなら私にもできる——そう思い、講座を受け持つことにしました。シェイクスピアから逃げていた私ですが、ここで少しシェイクスピアに近づくことになりました。

同じ頃、文化出版局で『銀花』という雑誌の編集をしていた妹から「翻訳してほしい」と頼まれたことがきっかけとなり、美術関係の翻訳仕事が舞い込むようになりました。その後、自社で翻訳・出版した戯曲を実際に舞台にもかける「劇書房」と縁ができ、本格的に戯曲の翻訳を手がけるようになりました。

シェイクスピア翻訳のきっかけをくださったのは、演出家の串田和美さんです。ご自分の演出で『夏の夜の夢』を上演するに当たり「新作を演出する気持ちでこの作品に臨みたい。そのために翻訳も新しいものを使いたい」と。

その訳を蜷川幸雄さんにも読んでいただきました。多分そのおかげで蜷川さん演出の『ハムレット』を訳すことになり、蜷川さんが芸術監督を務められた、彩の国さいたま芸術劇場の「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の翻訳を担当することへとつながったのです。憧れてはその難しさゆえに逃げ、ついにがっぷり取り組むことになったシェイクスピア。蜷川シェイクスピアへの岐路にも『夏の夜の夢』が立っていた。実に不思議な縁だな、と思います。

ちくま文庫『シェイクスピア全集』

これからもシェイクスピアの “広報”を担当していく

こうして始まったシェイクスピアの翻訳作品を筑摩書房さんが出版してくださったばかりか、「全集にしましょう」と言ってくださり、28 年かけて33冊37作品全てを翻訳することができました。振り返れば、そのスタートは東女にあったのだと感慨深く思います。コールグローヴ先生には、シェイクスピア作品の翻訳を進める上でも大変お世話になりました。翻訳中に疑問が湧いたときには何度も先生に尋ね、導いていただいたので、先生がいなかったら完訳できなかったのではと思うほどです。私は今でも時々自己紹介欄に「翻訳家・演劇評論家・シェイクスピアの広報担当(頼まれてもいないのに)」と書くことがあります。シェイクスピア全作の翻訳を終え、次は何をするのかと聞かれることがありますが、読み直すとまだ直したいところが出てきてしまう。『夏の夜の夢』は、もう20刷を超えていますが、本当に申し訳なく思いながらも、「ここで私が直さなければこのままだ」と思うと直さないではいられません。少しでもベターなものにするために今後も改訂を続けながら、シェイクスピアの面白さをこれからも広報していきたいと思っています。

私は大学でとても豊かな出会いを重ねることができました。大学時代は多くの人に出会い、さまざまなことにチャレンジして、自分がどんどん変化する中で、自分の好きなものって何だろう、自分の適性って何だろうと見極めることが大事なのではないかなと思います。自分に合った場所でその人らしく生きる、それがその人の働き方というものだろうと私は思っています。

シェイクスピアの翻訳は選択と断念の連続。ピタッとした言葉が見つかったときは涙が出ます。——松岡さん

松岡和子
翻訳家・演劇評論家

文理学部英米文学科卒業。東京大学大学院修士課程修了。専攻は17世紀イギリス演劇。著書(『「もの」で読む入門シェイクスピア』『深読みシェイクスピア』等)、訳書(『ハムレット』等シェイクスピアの戯曲37本、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』等)多数。蜷川幸雄が芸術監督として演出を手がけた「彩の国シェイクスピア・シリー ズ」の開始期から翻訳を担当し、企画委員も務めた。第69回 菊池寛賞、第75回 毎日出版文化賞、第58回 日本翻訳文化賞受賞(以上2021年)。本学においても、長年非常勤講師として英語教育に携わった。

スタッフ

Writer:
柳澤美帆
Photo&Editor:
(株)文化工房