英語というと、イギリスとアメリカの言葉というイメージを持ってしまいがちです。しかし、地球上にはアジアやカリブ海地域など多くの英語圏が存在しており、それぞれの地域で、英語による文学作品が著されています。そのため英語圏地域の文学作品を読み解くことも英語文学の領域のひとつになるのです。その中でも、私は19世紀末から20世紀前半にかけての南アフリカの作家や知識人たちに関する文学作品を研究しています。
19世紀のケープ植民地では、非白人に対して同化政策がとられ、一定の教育と収入がある全ての成人男子には選挙権があり、当時のアフリカ知識人は平等な権利を保障された「大英帝国臣民」としての意識を持っていました。しかし20世紀のアパルトヘイト(人種隔離政策)以降、白人たちは彼らの権利を奪い「二流市民」として扱います。彼らはこの扱いに抗議する中で、植民地エリートとしての自らの在り方や、「白人の国」になってしまった南アフリカを鋭く問い直していきます。こうした彼らの国民意識の変遷を読み解いていくことが、研究の中心です。
研究の中で見えてくる課題は、現代社会と結びつくものばかりです。例えば、作家H.I.E. Dhlomo(ハーバート・アイザック・アーネスト・ドローモ)について。彼は、アフリカ人の仲間を「知識人である自分が教育し『国民』にしてあげるべき下層民」ではなく「同じ労働者として共に戦う民衆」だと捉えなおす過程で、自分自身が持つ「白人に認められることで、社会の上流に行ける」と思う中産階級的発想こそがアパルトヘイトに対抗する上での障害だと気づきます。彼の発見を現代社会との関連で見れば、例えば「差別や貧困の構造を解決しようと思っても、自らの中産階級的上昇志向を問わなければ、その差別構造を存続させてしまわないだろうか?」と考えることができます。植民地近代の矛盾を生きた作家の文学から、現代社会の私たちについて多くを学べるのがこの文学研究の醍醐味です。日本の明治時代以降の近代化と植民地主義とも類似する部分が多いため、日本を見つめなおすことにもつながると感じています。
19世紀のケープ植民地では、非白人に対して同化政策がとられ、一定の教育と収入がある全ての成人男子には選挙権があり、当時のアフリカ知識人は平等な権利を保障された「大英帝国臣民」としての意識を持っていました。しかし20世紀のアパルトヘイト(人種隔離政策)以降、白人たちは彼らの権利を奪い「二流市民」として扱います。彼らはこの扱いに抗議する中で、植民地エリートとしての自らの在り方や、「白人の国」になってしまった南アフリカを鋭く問い直していきます。こうした彼らの国民意識の変遷を読み解いていくことが、研究の中心です。
研究の中で見えてくる課題は、現代社会と結びつくものばかりです。例えば、作家H.I.E. Dhlomo(ハーバート・アイザック・アーネスト・ドローモ)について。彼は、アフリカ人の仲間を「知識人である自分が教育し『国民』にしてあげるべき下層民」ではなく「同じ労働者として共に戦う民衆」だと捉えなおす過程で、自分自身が持つ「白人に認められることで、社会の上流に行ける」と思う中産階級的発想こそがアパルトヘイトに対抗する上での障害だと気づきます。彼の発見を現代社会との関連で見れば、例えば「差別や貧困の構造を解決しようと思っても、自らの中産階級的上昇志向を問わなければ、その差別構造を存続させてしまわないだろうか?」と考えることができます。植民地近代の矛盾を生きた作家の文学から、現代社会の私たちについて多くを学べるのがこの文学研究の醍醐味です。日本の明治時代以降の近代化と植民地主義とも類似する部分が多いため、日本を見つめなおすことにもつながると感じています。
研究キーワード アフリカ文学 / 黒い大西洋 / 英語圏文学 / 植民地近代 / ポストコロニアル / 英文学 / ディアスポラ