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東京女子大学

ストーリー

[教職員]

女性学・ジェンダーと、 キリスト教の学びが照らす光。 個を確立し、他者に寄り添い、共感できる人に

東京女子大学 女性学研究所所長(2021年取材当時) 唐澤真弓 / 東京女子大学 大学宗教委員長・キリスト教センター長(2021年取材当時) 佐野正子

キリスト教の精神をもって人格形成の基礎とし、リベラル・アーツを柱とする高度の教養を女性に授けることを建学の精神とする、東京女子大学。「女性学・ジェンダー」教育の主たる学び場である「女性学研究所」所長を務めている唐澤真弓先生と、大学の教育の基盤となっている「キリスト教学」の教授でキリスト教センター長を務める佐野正子先生に、東京女子大学での学びの経験、その学びによって女性たち一人ひとりにどのような光が照らされるのか、お話を伺いました。

視野を広げ、自己を確立する「女性学・ジェンダー」。個性を尊重し、一人ひとりの光を輝かせる「キリスト教学」

唐澤:この教室(6号館の6111教室)は思い出のある場所で、東京女子大学に着任後、初めて授業をした教室です。学生の頃、授業を受けた教室でもありました。毎回緊張していたので、授業前はチャペルに寄って、心を落ち着けてから教室に向かうのが習慣でした。

佐野:信仰の有無にかかわらずチャペルが大好きな学生が多いです。1限と2限の合間に行われている15分の礼拝には多くの学生が出席してくれて、特に今は新型コロナによって気持ちがざわざわすることも多いので、チャペルは心が落ち着く場所となっていると感じます。旧約聖書の「ノアの箱舟」に出てくる神の祝福を表す虹色のステンドグラスを通して、訪れた人にさまざまな色の光が当たるようになっています。

左から佐野正子先生、唐澤真弓先生。6号館の6111教室で。

東京女子大学のチャペル(1938年完成)。アントニン・レーモンド氏によって設計され、登録有形文化財に登録されています。

─東京女子大学は1918年の創立以来「キリスト教の教え」と「女子教育」を軸として、個としての自立に重きを置いた進歩的女性観に基づくリベラル・アーツ教育を提供しています。総合教養科目として、すべての専攻の学生を対象とする副専攻に「女性学・ジェンダー副専攻」「キリスト教学副専攻」があることに大学の特色を感じます。

唐澤:新渡戸稲造先生と安井てつ先生はパリ万国博覧会で出会い、日本の女性への高等教育の機会を設けることを目指されました。その目標は、「知識を身につけるだけでなく自立した女性を育てること、人間としての英知を養う人格教育」でした。この教育を実践するためには、他者の声に耳を傾けること、つまり専門を超えて協働した学びである、リベラル・アーツの学びが重要でした。専門での知識を通しての自己探求と、専門外の学びを通しての他者との関わりは、本学の標語である「すべて真実なこと」に続く「実行しなさい」、そのものですね。「女性学・ジェンダー」「キリスト教学」はリベラル・アーツの学びを実現する横断的学びとなるものです。

─1990年には「女性学研究所」が設立され、唐澤先生は現在、所長を務められています。そうした場所があることも、女性をめぐる諸問題を多角的に学ぶ意味で重要なことですね。

唐澤:現代社会におけるジェンダーの問題は、複雑な構造でできています。たとえば、世の中には男女の性差がもたらす差別があります。この課題を解決していくには、女性にまつわる歴史、社会システムや文化的な相違、さらには無意識に作られている心理バイアスなど、多角的な分析と理解が必要です。「女性学・ジェンダー」の副専攻では、社会でのジェンダー問題解決のために専門分野を横断的に学び、それらの知を総合して、問題解決をめざす、主体的に考える力と実行力が養われます。他者への配慮と責任に基づく判断(Guilligan,1982)ができる、しなやかな特性は、女性自身がこの複雑な問題の解決への第一の担い手であることを示しています。女性学研究所には、リベラル・アーツによるジェンダーの探求をサポートする仕組みがたくさんあります。優れた女性史研究に対して贈られる「女性史青山なを賞」をはじめ、秋枝蕭子氏、江口裕子氏といった卒業生のご寄付による研究奨励金の制度があり、ジェンダーに関する研究を応援する機会が用意されていることをぜひ知っていただきたいです。

女性学研究所には「女性史青山なを賞」を受賞した書物が並んでいます。

佐野:キリスト教学は、東京女子大学の教育の根幹です。キリスト教入門を初め、キリスト教の倫理や歴史や思想その他、キリスト教に関連する様々な学びは、リベラル・アーツの基礎を学ぶ機会となっています。大学が創立以来大切にしてきたSS(Service and Sacrifice)精神は、生涯にわたって学生のみなさんの生きる指針となる考えであると思います。
 

─キリスト教学は、大学のなかでも非常に人気のある授業だと聞きました。学生一人ひとりにどのような光を照らしてくれる学びの機会なのでしょうか。

佐野:なかには自己肯定感が低かったり、自分は何者にもなれないと不安を持っていたりする学生もいます。しかし、初代学長の新渡戸稲造先生は第一回卒業式の祝辞で、こうおっしゃっています。「本校においてはキリスト教の精神において、個性を重んじ世のいわゆるいと小さき者をも神の子と見なして、知識よりも見識、学問よりも人格を尊び、人材よりは人物の養成を主としたのであります」。女子に高等教育など必要ないと言われていた時代に、個性を重んじ、一人ひとりが大切な存在であると伝えたことには大きな意味があると感じます。この精神を今も大切に引継ぎ、私の授業や礼拝でも、自分の価値や生きている意味について悩んだ時、他者と比べることなく、自信を持って与えられた能力を伸ばし、個性を磨くことで自分の光を輝かせてほしいとお伝えしています。
唐澤:「一人ひとりを大切に」とうかがって、学生の頃に「コーリング」(キリスト教において神から与えられた使命のこと)という考えを教わったことを思い出しました。日本人の美徳として謙遜する文化が挙げられますが、この文化に生きると、個性を持つことに躊躇してしまい、自分の価値に光を当てることが難しくなります。たとえば、文化心理学の実験で「私は(I’m)」で始まる文章を10個書いてください、という質問があるのですが……みなさん、なにを書かれますか?

─パッと思いついたのは、私は女性である、私は母である、という言葉でした。

唐澤:日本人は社会的な地位や役割を記述する方が多いのですが、アメリカ人の9割は「I’m unique」(私は個性的だ)と答えるという結果となっています(Cousins, 1989, 唐澤、2001, Kanagawa, 2001)。日本人の自己は、漢字の「自分」に表現されるように他者との関係性で自分の分け前が決まって成立する傾向が強いのに対し、アメリカ人の場合は「自己」には神から与えられた使命があり、他者と比べるのではなく、唯一無二のユニークな存在として「自己」が成立する傾向が強いといえるでしょう。「私」に対する理解が、日常生活の中にしみこんだキリスト教の考え方を反映しているとも言えます。人の歴史の中で作られてきた宗教、文化の影響を私たちは知らず知らずに受けているのでしょう。こうして、心理学の結果を、歴史や宗教、社会システムの視点をもって理解していくことで心理学の理論も鍛えられていきます。自分の専門を他の学問と照らし合わせて洗練させていく、リベラル・アーツの学びの体験です。私自身、東京女子大学の同級生とコミュニケーションするときには、他者と比べたり、お互いに競い合う感覚が少なかったりします。それは、東京女子大学で学んだ、キリスト教の精神、一人ひとりが個性を持ち、一人ひとりを大切にすることが、私たちのなかで熟成されているからかな、と感じます。

知識の量を比べるのではなく、どのように考え、悩むのかに向き合う4年間

─大学で人格形成をする必要性についてどのように考えますか?

佐野:学問ももちろん大切ですが、学んだ知識が見識に変わり教養として身につくことで、人格が豊かに形成されていくことがより重要だと思います。学生の成長を見守っていると、4年間でずいぶん変化することに驚かされます。人格を形成していくことは一生続くものですが、社会人になるとさまざまなことで忙しくなります。だからこそ、大学時代にじっくりと自分に向き合い、社会に出る前にその準備ができていることで、あらゆる問題に向き合えたり、さまざまな考えや背景がある人と手を取り合ったりすることができると思います。

唐澤:大学受験までは、知識の量や正しさを競うことが重視されますが、大学では正解のない答えを解決していくために、多くの知を得て、悩み、自分の答えを作り出すことが大切になります。最近では、授業で私たちが教える知識に対して、学生がインターネットで検索して手に入れた知識が加わることもあります。「こんな実験もあるが先生はどう思います?」といった質問があるのです。そういう体験をすると、知識の量を比べる時代は終わったなと思うのです。得た知識をどう組み合わせ、答えを作り出していくか、自分で答えを発見する力が必要になってくるのです。最近、大学教育において、リベラル・アーツ教育に光が当てられているのは、知識を実践に結びつける力を養えるからなのでしょう。
佐野:唐澤先生が授業前にチャペルに寄ってくださっていたように、日常と異なる聖なる空間に身を置くことで、心を落ち着けて自分と向き合うことができます。すると、自分の心の奥底にある本当の気持ちや、自分の本質のようなものが見えてくると思うのです。東京女子大学の校章は新渡戸先生が考案されたのですが、SS精神の「Service」と「Sacrifice」の頭文字が縦と横の十字架の形に組み合わされていて、それは、人間には神と人との縦の関係と、個人と個人の横の関係が必要だという考えからきています。入学したばかりの学生さんのなかには、周りの人と比較して自分に自信が持てない人も見受けられますが、それは「横」ばかりを気にしている状態で、「横」だけを見ていると心が揺れ動き、不安になってしまいがちです。しかし第三者の視線というか、超越者との「縦」の関係を意識して、二次元思考から三次元思考へと立体的に自分を捉え直して、他者とは比べることのできない個性豊かな人格を大学時代に形成してほしいと思います。
唐澤:ジェンダーを学ぶことは、多様性の視点を取り入れることで、世界の見方を広げることにつながります。私は、新渡戸先生と安井先生がパリ万博で出会われたという“運命”、女子高等教育の使命を共有されたお話がとても素敵だなと思いました。お二人は、当時、ほとんどの日本人に不可能だった“世界”を見ていたからこそ、日本の女性たちに高等教育を通して、自分の知力に自信を持ち、多様性や可能性を追求してほしいといち早く考えられたのです。今いる枠組みを脱してものごとを考えること、グローバルな視点から自分を考えることの大切さに気付かされたエピソードです。

研究室や自宅で開催されるお茶会も人格教育の一環。授業以外の場所で学べること

唐澤:縦と横ということで言うと、最近、理想とされるリーダーシップ像が変わってきていますよね。かつてはトップダウン(縦型)でパワーを持つ強いリーダー像が示されてきましたが、現代では部下に寄り添いながら、チーム力をまとめて統率していく(横型)リーダーが求められています。前を見て一番を走るリーダーではなく、後ろからサポートする、他者に目を配るしなやかさを持つリーダーが重要になってきているのではないでしょうか。

佐野:SS精神は、まさに東京女子大学のリーダーシップ像の象徴だと思います。「Service and Sacrifice」は、「仕えることと捧げること」という意味で、互いの気持ちを汲んで愛し合う場を作れる人のことです。SS精神に関係した聖書の言葉として、聖書の「マルコによる福音書」(第10章42節以下)に記されたキリストの教えがあります。「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの中で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」と述べられていて、人に仕え自分を捧げることのできる愛に満ちたリーダー像が示されています。
唐澤:これは、女性だけでなくこれからの世界に求められていくリーダー像だと思います。地球資源が限りあるなか、自分の富を増大させて、自分だけの幸せを追求することはできません。手を取り合って、他者の幸せも願う、共生の時代です。このことは国連のSDGs宣言にある「誰一人取り残されない」にも表れていますね。本学では、リベラル・アーツの学びを通して、知を協働に生かすことを教え、次世代のリーダーとなることを期待しています。

─日本においては、男女別学は年々減少傾向にありますが、アメリカでは2000年代に入ってから公立学校での男女別学が認められるという動きがありました。共学ではなく女子大だからこそ育まれるものやもたらされるものについて、お二人はどのように考えられますか?

唐澤:アメリカでは、現在でも女子大学が多く存在しています。アメリカの女子大学の先生や学生にお話を伺うと、女子大学であることに誇りと自信を持っていると感じます。たとえばアメリカでは医師や弁護士になるには、学部教育の後に専門教育へと進むシステムです。リベラル・アーツを学んだのちにロースクールやメディカルスクールに進むわけですが、女子大学出身者が議員や会社役員となる率が高いデータ(Women’s College Coalition, 2014)もあります。女子大学では、男性と比べながら意見を言ったり、男性の基準で自分を評価することが少ないからかもしれません。心理学的分析をすると、私たちは「他者の目」を意識して、自分を作っています。日本人であるとか、女性であるといった自分の特性に対して、他者や社会が持っている価値に、無意識に適応してしまいます。これは、自分の生きる場への適応力が高いことになりますが、役割から逸脱する行動への萎縮を生んでしまうことも少なくありません。女子大学は、女性の役割を意識せずにVOICEをあげやすい、意見を言いやすい環境であるかもしれません。自分の力が発揮される経験を積むことで自分に自信を持つことができ、男子学生が多いと言われるロースクールやメディカルスクールに挑戦することができているのでしょう。他者と比べて作る「私」ではなく、ユニークな存在としての自己、「私らしさ」を経験を通して学べるよさが女子大学にはあります。それが他者の個性を認めることとなり、多彩な生き方を選べる力になっていくのでしょう。

─お話をうかがうなかで、人格教育の大切さを受け取ったのですが、東京女子大学では先生たちがお茶会を開いていると耳にしまして……それも人格教育の一環なのかなと想像しました。

佐野:そうですね。大袈裟かもしれないけれど、人格教育の一環だと思っています。私は研究室や自宅に学生を招いて、お茶会を開催しているのですが、授業ではないところでの交流を通して学ぶことも多いと思うんですよね。教師の生き方から学ぶこともあるかもしれませんし。単にお茶会が好きだというのもありますが……(笑)。

唐澤:私も学生たちとランチをしたりお茶会をしたり、一緒におしゃべりする機会を設けています。女性として、先輩と後輩として、結婚や家族のことなど悩みを分かち合ったりします。東京女子大学の魅力は、ゼミだけではなく、総合教養科目を受講している学生たちとも心理的な距離が近いことですね。私も在学時に、フランス語の先生が、プルーストの『失われた時を求めて』に登場するプチマドレーヌと菩提樹のお茶の会を開いてくださったことを、今でも懐かしく思い出します。

自分を変えてみる勇気と、相手の苦しみを思いやるコンパッションを持ってほしい

─さきほどジェンダーバイアスのお話がありましたが、女性たちはたとえば家庭での家事分担の不平等や、男女間の賃金格差など、いまだに平等とは言えない社会に生きています。女子大で過ごす時間は人生においてはひとときだとも言えますが、女性に向けた教育を行う東京女子大学として、女性たちにどのような力をつけてもらいたいと考えますか?

唐澤:当たり前とされていることを疑って、自分を変えてみる勇気を持ってほしいです。私が教えている文化心理学は、文化比較を通して、異なる価値観に触れ、自己の在り方を問い直す学問です。比較することで心理学の理論をより豊かにしていく方法でもあります。「異文化に生きる人を知る」ことで、人間形成に与える環境や条件をより詳細に理解できるのです。それは、私たち自身を見つめることでもあります。他者との比較は、萎縮するためではなく、今とは違う生き方を知り、選択肢が広がって、自分のChangeにつながるのです。今までの「当たり前」のなかにいれば楽かもしれないけれど、ぜひ変わることに躊躇しない勇気を持ってほしい。現在を受け継ぎ守るだけでは、情報社会もグローバル社会も成立しなかった。変化への一歩が人間を作ってきたのです。大学では、自分が変わることへの挑戦も果たしてほしい。自信を持って変革できる力を東女で身につけ、一歩踏み出してほしい。きっと変わることができます。

唐澤先生と佐野先生がともに感銘を受けたという、粟津キヨ著『光に向って咲け 斎藤百合の生涯』。小さな子どもを育てながら東京女子大学第一期生となり、盲女性のために苦闘した全盲の女性・斎藤百合氏の生涯を、彼女に導かれ東京女子大学で学ばれた全盲の粟津キヨ氏が描いた。

佐野:大学時代に、それぞれ個性を磨いて自己を確立することと、思いやりの心を育てて「コンパッション」という意味の共感力を身につけてもらいたいです。コンパッションは、他者の苦しみを自分の苦しみとして、他者に寄り添う感覚のことです。

コンパッションを理解するために、聖書の「コリントの信徒への手紙一」( 第12章12-26節)の「からだのたとえ」を紹介したいと思います。「目が手に向かって『お前はいらない』とは言えず、また頭が足に向かって『お前たちはいらない』とも言えません」「体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」とあります。手の役割の人もいれば、足の役割の人もいて、一人ひとりが異なる個性を生かして自分の役割を全うしながら、他者の痛みや苦しみを自分の痛みと感じて共に生きること。このような自分の個性を大切にしながら、互いに配慮しあえる温かな共同体を作っていくことの必要性を、昨今特に感じます。

東京女子大学の標語が本館の壁に「QUAECUNQUE SUNT VERA」(すべて真実なこと)とラテン語で刻まれています。これは聖書の「フィリピの信徒への手紙」第4章8-9節からの引用で、続きがあるので紹介しますね。「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や賞賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」。そして、「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい」と結ばれています。「すべて真実なこと」を心に留めて生きる心の気高さと、学んだことを実行する勇気と実行力を、ぜひ身につけて社会にはばたいていただきたいと願っています。
唐澤 真弓
東京女子大学 女性学研究所所長(2021年取材当時)/ 現代教養学部 心理・コミュニケーション学科 コミュニケーション専攻 教授
佐野 正子
東京女子大学 大学宗教委員長・キリスト教センター長(2021年取材当時)/現代教養学部 人文学科 哲学専攻 教授

スタッフ

Interviewer・Writer:
羽佐田瑶子
Photo:
吉田周平
Editor:
野村由芽