哲学は、我々が「当たり前」としている事柄を徹底的に問い直す学問です。その方法は多々ありますが、私は20世紀最大の哲学者と言われるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学的思考を手がかりに、世の中の当たり前を丁寧に議論することを試みています。
ウィトゲンシュタインは、言語が使われるコミュニケーションの現場、概念の働き方に注目し、それをよく見ることを重要視しました。例えば「平等が大切だ」と言われれば誰もがそうだと思うでしょう。しかし「男女が平等な社会とはどのような社会か」と問われると、答えに詰まる人が大半です。平等とは何かを問うとき、まず必要なのはその言葉が使われる文脈・現場に着目し、概念を「明確化」していくことです。それは、我々の物の見方を根本のところで形作っている世界観を言葉にし、吟味する営みともいえます。
昨今は「道徳的思考」について研究しています。私たちが「~すべき」と思考するとき、その正しさはどのように導かれるのでしょうか。直感・感情的なものか、理性的・熟慮的なものなのか。あるいはそのどちらでもなく、相手の側にどういう世界が見えているのかを全身で理解しようとする、想像力をも含む複雑な活動ではないのか—。このような問いを、プラトンやウィトゲンシュタインの実践を取り上げながら論証しています。また、根本的に異なる世界観を持つ人々の間でどのようなコミュニケーションがあり得るのかも挑戦したいテーマです。
哲学の醍醐味は、徹底的に考え抜くことで物事を深いレベルで捉えることができることにあります。哲学を学ぶことは、他人の主張を理解する力、その主張を問い直す力、自分の考えを言葉にして表現する力につながります。社会には「女性も活躍する時代だ」「男性を立てるべきだ」など、女性を取り巻くさまざまな「当たり前」がありますが、それに振りまわされず一度自分が本当にコミットできる「当たり前」は何なのかを徹底的に考え抜くこと。それは自分の人生を自分のものとして生きる力となるはずです。哲学を通して、自分が選び取った人生を生きる力を養っていただきたいと思います。
ウィトゲンシュタインは、言語が使われるコミュニケーションの現場、概念の働き方に注目し、それをよく見ることを重要視しました。例えば「平等が大切だ」と言われれば誰もがそうだと思うでしょう。しかし「男女が平等な社会とはどのような社会か」と問われると、答えに詰まる人が大半です。平等とは何かを問うとき、まず必要なのはその言葉が使われる文脈・現場に着目し、概念を「明確化」していくことです。それは、我々の物の見方を根本のところで形作っている世界観を言葉にし、吟味する営みともいえます。
昨今は「道徳的思考」について研究しています。私たちが「~すべき」と思考するとき、その正しさはどのように導かれるのでしょうか。直感・感情的なものか、理性的・熟慮的なものなのか。あるいはそのどちらでもなく、相手の側にどういう世界が見えているのかを全身で理解しようとする、想像力をも含む複雑な活動ではないのか—。このような問いを、プラトンやウィトゲンシュタインの実践を取り上げながら論証しています。また、根本的に異なる世界観を持つ人々の間でどのようなコミュニケーションがあり得るのかも挑戦したいテーマです。
哲学の醍醐味は、徹底的に考え抜くことで物事を深いレベルで捉えることができることにあります。哲学を学ぶことは、他人の主張を理解する力、その主張を問い直す力、自分の考えを言葉にして表現する力につながります。社会には「女性も活躍する時代だ」「男性を立てるべきだ」など、女性を取り巻くさまざまな「当たり前」がありますが、それに振りまわされず一度自分が本当にコミットできる「当たり前」は何なのかを徹底的に考え抜くこと。それは自分の人生を自分のものとして生きる力となるはずです。哲学を通して、自分が選び取った人生を生きる力を養っていただきたいと思います。
研究キーワード ウィトゲンシュタイン / メタ哲学 / 常識