いつも、いつまでも、WOMANの未来をみつめて
副学長 唐澤真弓
(人間科学科コミュニケーション専攻教授)
●1918年から100年
われ太平洋の橋とならん。欧米と日本の対話をめざした初代学長新渡戸稲造先生が、1900年に安井てつ先生とつなげたパリでの友情の橋。1918年北米プロテスタント6教派が日本の女子高等教育のためにさしのべてくれた友情の橋。世界から日本の女性へ、師から学生へ、学生から学生へ。数多の架け橋によって、東京女子大学では、この100年自立した女性を育んできました。この橋は、ひとりひとりが、学び舎で得た知識を社会につなげ、多くの人にさしかけた橋でもありました。多くの卒業生のその後の歩みは、職場で家庭で社会で必要とされるWOMANの営みであり、今日の新卒就職率の高さを支えています。それはまた、世界と自分をつなげる橋でもありました。競い合って勝ち取る人生ではなく、人と比べてしあわせになる人生でもなく、自分と社会をしっかり結びつけ、自分だけのキャリアを築きあげる人生。東京女子大学でのリベラルアーツ教育の4年間で、始めることができた歩みです。
(続きは『学報』本誌でご覧になれます)
(人間科学科コミュニケーション専攻教授)
●1918年から100年
われ太平洋の橋とならん。欧米と日本の対話をめざした初代学長新渡戸稲造先生が、1900年に安井てつ先生とつなげたパリでの友情の橋。1918年北米プロテスタント6教派が日本の女子高等教育のためにさしのべてくれた友情の橋。世界から日本の女性へ、師から学生へ、学生から学生へ。数多の架け橋によって、東京女子大学では、この100年自立した女性を育んできました。この橋は、ひとりひとりが、学び舎で得た知識を社会につなげ、多くの人にさしかけた橋でもありました。多くの卒業生のその後の歩みは、職場で家庭で社会で必要とされるWOMANの営みであり、今日の新卒就職率の高さを支えています。それはまた、世界と自分をつなげる橋でもありました。競い合って勝ち取る人生ではなく、人と比べてしあわせになる人生でもなく、自分と社会をしっかり結びつけ、自分だけのキャリアを築きあげる人生。東京女子大学でのリベラルアーツ教育の4年間で、始めることができた歩みです。
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