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東京女子大学

第1回公開研究会(2013年3月5日)

河野有理(首都大学東京准教授)「「正統と異端」研究会をめぐって」

「正統と異端」研究会について、80年代後半の資料(未公刊)を主として取り上げ、その意義について考察した。私見によれば、この資料を分析することで、従来支配的であった見解に疑いを投げかけることができる。

この支配的見解とは、以下二つの図式から構成されている。一つは、丸山にとって〈夜店としての政治学〉と、〈本店としての日本政治思想史〉が截然として区別されてあったという図式である。この図式によれば、60年安保以降の丸山の研究態度は、この〈夜店〉から〈本店〉への回帰だということになる。二つに、この〈本店〉であるところの日本政治思想史の研究方法論について、50年代後半に、普遍的な発展段階論を前提にした「縦の歴史」から、「横から」の急激な文化接触の問題(「開国」)へという変化が起きたという図式である。

政治学から、政治思想史へ。〈縦の歴史〉から〈横の歴史〉へ。80年代の丸山自身による「自己解題」(「原型・古層・執拗低音」、1984年)にも依拠した、こうした通説的見解とは、必ずしも折り合いのつかないものが、今回扱った80年代後半の研究会史料には現われている。例えば、研究会における関心の比重は、この時期、O正統からL正統へと移動している。それにしたがって同一の対象に対するアプローチも変化した。60年代の研究会では、「疑似O正統」の問題として把握されていた明治日本の「國體」は、80年代には日本国憲法(戦後日本の「國體」)や、(独立宣言によって基礎づけられる)アメリカの「國體」と比較可能な「L正統」として捉え直されることになった。L正統(legitimacy)に注目して政治を考えるこうした態度は、しかも丸山によって明確に自身の『政治の世界』(1952年)の延長線上に意識された。〈夜店〉としてすでにたたまれたはずの「丸山政治学」(『政治の世界』はその代表作と見なされてきた)は、この時期、「正統と異端」研究会において、実は新たな展開を見せ始めていたのではないだろうか。