宮村治雄(成蹊大学アジア太平洋研究センター客員研究員)「中江兆民『三酔人経綸問答』再読——「理学」と「経綸」の間で——」
『三酔人経綸問答』は、中江兆民の「主著」とされ、論じられることも多い。しかし、そのテクストが成り立つ主体的な文脈に沿って解読されることは、必ずしも十分に果たされてきているとはいえないように思われる。
兆民は、この作品に先だって、彼の「経綸」の基礎を形造るルソーの『社会契約論』や『学問芸術論』の翻訳だけでなく、フランス革命史の叙述や、ルソー批判の紹介などをも試みていたし、彼が「理学」と呼ぶに関連する翻訳や著作を行っていた。それらの著訳書、および彼が主宰した仏学塾での塾生たちと共同して刊行した『政理叢談』雑誌その他の著訳書は、同時代日本での彼の特異な知的視野と位置とを示している。
兆民の「主著」は、そうしたサブテクスト群の広がりと奥行きの中に置き直されるとき、どのような姿を開示するのか。できるだけ、新たな諸側面に即して素描してみたい。
兆民は、この作品に先だって、彼の「経綸」の基礎を形造るルソーの『社会契約論』や『学問芸術論』の翻訳だけでなく、フランス革命史の叙述や、ルソー批判の紹介などをも試みていたし、彼が「理学」と呼ぶに関連する翻訳や著作を行っていた。それらの著訳書、および彼が主宰した仏学塾での塾生たちと共同して刊行した『政理叢談』雑誌その他の著訳書は、同時代日本での彼の特異な知的視野と位置とを示している。
兆民の「主著」は、そうしたサブテクスト群の広がりと奥行きの中に置き直されるとき、どのような姿を開示するのか。できるだけ、新たな諸側面に即して素描してみたい。