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東京女子大学

第5回研究会 (2013年11月29日)

中田喜万(学習院大学教授)「天皇概念の歴史的展開 —— その称号・系図・史論」

20世紀の日本の知識人たちが否応なく直面した課題が天皇および天皇制であったことは多言を要しない。実に天皇制こそが、ある時期の政治学の最重要の研究対象であった。丸山眞男が晩年に傾注した「正統と異端」の研究も、その発端には近代日本における「正統」としての天皇制が念頭にあったことは容易に推測される。

したがって、その天皇および天皇制の問題にふれようとすれば、かつての日本の政治学・政治思想史をまるごとふり返らなければならなくなるが、それはこの小考で扱うには巨大に過ぎる。ここでは角度を変えて、次のように問題を設定してみた。すなわち、国民国家は想像上の産物であるといわれるが、しかし日本の場合もその議論が説得力をもつかどうか。というのも、「天皇は単なる表象どころか身体を有する全くの実在であって、戦前はそれこそが「國體」そのものだったのではないか?」という疑問に対してきちんと反駁できるか、ということである。

このことについて考えるため、天皇と今日では呼ばれている歴史上の人物やその周辺を詮索することを一旦保留し、「天皇」という称号、言葉そのものの来歴・変遷を確認することにした。まず古代における導入(むしろ中国の模倣)の経緯を、津田左右吉以来の研究史を整理しながら確認し、中世における忘却(古代での導入の理由と表裏の関係にある)までを論じた。意外なほど短い期間しか実際には使用されていないのであった。次に、この称号の近世における復活について、光格天皇(という漢風諡号を周到に用意した人物)の個性に注目する先行研究とは別に、江戸時代の史論の中から説明できないか、検討を試みた。特に南北朝問題は大きく、とても「万世一系」などといえない複雑な事情があった。江戸時代の史論は、そのことを如何に説明するかに腐心したわけである。


幕末以来の国家統合の象徴としての「天皇」は、それまでの複雑な歴史的存在を単純化・抽象化したものである。近代国家による公定の説明は、しかしながら明治初期に一挙になされたわけではなく、様々な出来事の都度、形作られていった。肝心の天皇系図も、(そもそも古代から何度もの作為が加わってきたものであるが、)今日みるような形がほぼ確立するのには大正期までかかっている。20世紀の大きな正統たる「天皇」のあり方が、実はその直前まで紆余曲折を経た、できたてほやほやの神話であったことが見てとれる。

研究会当日は、時間切れのため、後半部分はあまりふみこんで論じることができなかった。質疑応答で、関係する貴重な史料の紹介や中国史研究からの示唆を得た。御教示に感謝しつつ、あらためて公表できるよう他日を期したい。