茂木敏夫(東京女子大学教授)「丸山眞男の論説と中国、東アジア——考察事始め」
本研究プロジェクトにおいて報告者が担当する課題は、「東アジア論と丸山眞男」である。この課題については、(1)丸山の中国や東アジアに関する議論を通じて、彼の中国(東アジア)認識を考えたり、その中国(東アジア)言説が、同時代の政治・社会・文化状況においてどのような意味をもっていたのか、また同時代および後世においてどのような影響関係にあるのか、さらには丸山の議論全体において中国(東アジア)言説はどのような役割をもっていたのかを考えたりする、つまり丸山の議論を通じて中国や東アジアを考えるという方向と、(2)中国や東アジアの側が丸山の議論をどう読むのか(読んだのか)、今日の中国や東アジアの知的状況に丸山の議論はどう関与し得るのかなど、中国や東アジアの知的状況から丸山の議論の可能性を考えるという方向と、二つの方向での考察があると思われる。
そのような観点から、報告者は現在『丸山眞男集』や『別集』、『講義録』を年代順に読み直している。その読み直し作業中の初歩的な考察(事始め!)として、本報告では、(1)に関して、丸山の日本政治思想史研究の方法が中国思想史研究に与えた影響について、その特徴を概観することで、丸山の日本政治思想史研究の広がりを考えるとともに、(2)に関して、現在進行中の中国や東アジアの構造変動のなかで東アジア論を構築するに際して、丸山の議論がこれにどう関与できるか、その可能性について、報告者の最近の研究とも関係させながら簡単な展望を試みた。
まず、(1)中国思想史研究における丸山の日本政治思想史研究のプレゼンスに関して、丸山のパラダイムを継承して中国に適用した研究として、野村浩一「清末公羊学派の形成と康有為学の歴史的意義」(『国家学会雑誌』71(7)、72(1)(3)、1957、58年、後に『近代中国の政治と思想』筑摩書房、1964年に収録)を、また、丸山のパラダイムとは対照的なアプローチとなった島田虔次『中国における近代思惟の挫折』(筑摩書房、1949年、1970年改訂版)を取り上げ、その論理の特徴を丸山のパラダイムと比較しつつ、簡単に整理した。
野村の研究は、西洋政治思想の枠組みを利用して、伝統思想の展開の中から近代的思惟を見出そうとする点に丸山のパラダイムの援用が見られ、丸山が荻生徂徠に見た「聖人の作為」を康有為の「孔子改制考」に見出している。一方、島田にとっても、「今は亡き丸山眞男と論争したい」と彼自身述べていたといわれるように(「先学を語る——島田虔次先生」『東方学』第125輯、2013年、215頁)、丸山は大きな存在だった。内面が自然や社会の秩序に連続していくことで全体として完結するという朱子学的思惟の自己展開のなかに、政治を内面から切り離して外在化させていった徂徠の道筋を見出し、そこに近代的思惟を見ようとした丸山に対して、外在化の徹底とは逆に、内面化を徹底していった王学左派の、その究極にこそ近代思惟を見ようとしたのが島田だった。
また、丸山的パラダイムで中国近代思想史の流れを抽出しようとする野村のアプローチとは異なる、小野川秀美『清末政治思想研究』(東洋史研究会、1960年、増訂版、みすず書房、1969年)のアプローチもとりあげて、それぞれの中国近代思想史研究の特徴についても若干の考察をおこなった。
ついで、(2)に関して、中国や東アジアの構造変動について、その歴史的位置付けを試みる拙論を紹介しながら、現在の東アジアの知的状況について整理し、この地域を考える紐帯として何が考えられるかという問いを、最近中国で投げかけられ、それに対して非欧米の近代という「共通の歴史経験」を考えることができるのではないかと答えた報告者の経験を紹介した。その問答を踏まえて、近代日本が経験した正負の経験は、非欧米の近代にとって大きな知的遺産になりうること、だとすれば、丸山眞男たちが近代日本の直面した諸問題と格闘した経験のもつ意味は大きく、むしろこの知的経験は、これからの東アジア、のみならず世界において普遍的な意味をもつのではないかとの指摘をおこなった。
そのような観点から、報告者は現在『丸山眞男集』や『別集』、『講義録』を年代順に読み直している。その読み直し作業中の初歩的な考察(事始め!)として、本報告では、(1)に関して、丸山の日本政治思想史研究の方法が中国思想史研究に与えた影響について、その特徴を概観することで、丸山の日本政治思想史研究の広がりを考えるとともに、(2)に関して、現在進行中の中国や東アジアの構造変動のなかで東アジア論を構築するに際して、丸山の議論がこれにどう関与できるか、その可能性について、報告者の最近の研究とも関係させながら簡単な展望を試みた。
まず、(1)中国思想史研究における丸山の日本政治思想史研究のプレゼンスに関して、丸山のパラダイムを継承して中国に適用した研究として、野村浩一「清末公羊学派の形成と康有為学の歴史的意義」(『国家学会雑誌』71(7)、72(1)(3)、1957、58年、後に『近代中国の政治と思想』筑摩書房、1964年に収録)を、また、丸山のパラダイムとは対照的なアプローチとなった島田虔次『中国における近代思惟の挫折』(筑摩書房、1949年、1970年改訂版)を取り上げ、その論理の特徴を丸山のパラダイムと比較しつつ、簡単に整理した。
野村の研究は、西洋政治思想の枠組みを利用して、伝統思想の展開の中から近代的思惟を見出そうとする点に丸山のパラダイムの援用が見られ、丸山が荻生徂徠に見た「聖人の作為」を康有為の「孔子改制考」に見出している。一方、島田にとっても、「今は亡き丸山眞男と論争したい」と彼自身述べていたといわれるように(「先学を語る——島田虔次先生」『東方学』第125輯、2013年、215頁)、丸山は大きな存在だった。内面が自然や社会の秩序に連続していくことで全体として完結するという朱子学的思惟の自己展開のなかに、政治を内面から切り離して外在化させていった徂徠の道筋を見出し、そこに近代的思惟を見ようとした丸山に対して、外在化の徹底とは逆に、内面化を徹底していった王学左派の、その究極にこそ近代思惟を見ようとしたのが島田だった。
また、丸山的パラダイムで中国近代思想史の流れを抽出しようとする野村のアプローチとは異なる、小野川秀美『清末政治思想研究』(東洋史研究会、1960年、増訂版、みすず書房、1969年)のアプローチもとりあげて、それぞれの中国近代思想史研究の特徴についても若干の考察をおこなった。
ついで、(2)に関して、中国や東アジアの構造変動について、その歴史的位置付けを試みる拙論を紹介しながら、現在の東アジアの知的状況について整理し、この地域を考える紐帯として何が考えられるかという問いを、最近中国で投げかけられ、それに対して非欧米の近代という「共通の歴史経験」を考えることができるのではないかと答えた報告者の経験を紹介した。その問答を踏まえて、近代日本が経験した正負の経験は、非欧米の近代にとって大きな知的遺産になりうること、だとすれば、丸山眞男たちが近代日本の直面した諸問題と格闘した経験のもつ意味は大きく、むしろこの知的経験は、これからの東アジア、のみならず世界において普遍的な意味をもつのではないかとの指摘をおこなった。