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東京女子大学

第11回研究会(2015年7月24日)

奥波一秀(日本女子大学准教授)「丸山眞男と音楽にまつわるいくつかの謎」

丸山眞男にとっての音楽という問題を、丸山文庫の手沢本の調査、丸山の周辺の音楽論の検討などを通して、研究している。本発表では、長谷川如是閑、佐々木幸徳、宮澤俊義、内田義彦らの音楽論との対比を通して、丸山の音楽論の解明を試みるとともに、いくつかの事実関係等、残された課題についても確認した。

如是閑は、戦前・戦中、国民性と音楽との関係、日本の国民音楽の条件について論じていた。音楽をその背後の生活との関係から見る視線など、丸山とも通じる音楽論も目を引くが、とくに時局との関係でいえば、日本の国民音楽にとって、出自が外来かどうかは重要ではない、との指摘が興味深い。


同時期、宮澤俊義は、西欧崇拝と排外主義の双方を批判する一文を記しているが、力点はおそらく、当時強まりつつあった国粋主義的な動きを牽制することにあった。宮澤には、当時普及しつつあった「音感教育」について、一定の留保はしながらも、期待を述べた一文もある。

このように、音楽についての思考は、決して丸山だけに特異なことではなく、前後左右にみられた。とくに佐々木幸徳の音感合唱・音感教育の影響が着目に値する。丸山は、すでにふれた宮澤俊義、野田良之とともにYMCA音感合唱教室に通い、佐々木の音感教育実践・思想にふれている。

佐々木の音感教育の思想的意味は、戦後の雑誌『未来』での座談会での、内田義彦とのやりとりにも反響している。内田も、実は、佐々木音感合唱の(間接的な)弟子で、丸山とともに強調しているのは、「和音」の重要性である。明治以来、西欧的な音階と旋律とは、すでに土着化したが、西欧近代音楽の核心としての「和音」はいまだ、日本人の耳には馴染んでいない。これを移入・定着させることが、戦後丸山の音楽啓蒙の課題だった。

「和音」は、内田や丸山にとっては、高尚な音楽趣味の問題ではなく、和音を可能にする「合理化」の問題であって、「和音」は西欧の普遍的合理性の代表として理解されていた、ということについて本発表で報告した。